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私を助けてくれたのは私ではなかった。それは他でもない目の前の彼だった。
何もかもが私に少しずつ劣っている筈の、私に勝てるものなど一つもなかった筈の、特別な能力を何も持たない筈の彼だった。
そして、それが彼と私を繋ぐ唯一の糸である筈だった。つまり彼は私がとても優秀だから、傍にいてくれたのだと本気で思っていたのだ。

どうして、どうしてそこまでしてくれるの。
私が貴方に何もかも勝っているから?しかしそれでは説明がつかないのだ。
私の中核がこんなにも脆くて不甲斐ないものだと彼に知られてしまった今、彼よりもお粗末な精神しか持ち合わせていない私に気付いた彼は、
その瞬間に、私の傍にある理由を無くす筈だったのだ。直ぐにでも私の傍から立ち去る筈だったのだ。
それなのに、どうして貴方は私の傍にいてくれるの。

「シルバーは、優しいね。」

嗚咽の合間にやっとのことで紡いだそれに、しかし彼は怪訝な顔をしたのだ。

「俺は優しくなんかない。お前が一番良く知っているだろう。」

そんなことはない。彼は優しい。それは上辺だけの優しさではなかった。
初めてポケモンバトルをした時も、その厳しさの中にパートナーの成長を願う優しさが込められていたことを私は知っていた。
確かに彼は愛想がない。他のレイブンクロー生に友達はあまりいないようだった。
それは彼が優しくないからなのだろうか。皆が本当の彼を知らないからなのだろうか。

「でも、私は優しいシルバーしか知らない。」

「何を言っている、お前だからだ。」

やや早口で紡がれたそれは、私の心に突き刺さった。
「お前だから」私はその意味を、その一言に込められた本当の理由を理解しようと努めた。
「誰よりも優秀で、誰よりも完璧な私だから」という意味ではない。もしそうだとするなら、彼は今すぐにでも此処から立ち去っているだろう。
私が不完全で愚かな弱い人間だと知ってしまったからだ。空っぽの私を知られてしまったからだ。

「何か誤解しているのかもしれないが、俺はお前が強いから此処にいるんじゃない。」

「……じゃあ、どうして?」

「お前が、俺より何もかも勝っているように見せかけて、その実、随分と危なっかしいからだ。」

見せかけているつもりはなかったのだけれど。私は心中でそう呟いて、得意気に笑う彼の銀色の目を見上げた。
こんな風に笑われたことは前にもあった。「コトネは成績こそ良いが、頭はあまり良いとは言えないからな。」と笑われた、あの日から長い時間が経過していた。
まさか、あの時からだったというのだろうか。私が危なっかしいことを、彼はあの時からずっと知っていたのだろうか。
私が優秀で完璧な人間ではないと、とっくに見抜かれていたのだろうか。
それならば、何故。何故彼は私の傍にいてくれたのだろう。

「お前は危なっかしくて飽きる暇がないと、前に言ったことがある筈だが。」

「そのせいで、こんなに迷惑をかけているのに?」

「誰かを守りたいと思うことは迷惑なのか?」

極自然に紡がれたその言葉に、今度こそ私は言葉を失った。
止まっていた時間が動き出さないかと思った。静かな部屋に私の消えそうな心音が響いていた。
彼は今、何と言ったのだろう。

「誰が?」

「俺が、お前を、だ。」

「どうして?」

「……さあな、優秀なコトネなら直ぐに思い付くんじゃないか。」

彼は本当に楽しそうに笑っていた。私は笑うことが出来なかった。
でも、どうして?何故?何も知らない幼児にように私は疑問を重ねていた。
……いや、事実として、私は何も知らなかったのだ。私は誰よりも無知だったのだ。
彼とあの子以外の人間と関わることをしなかった私の世界は極端に狭かったのだ。そうしたことを知る機会など何処にもなかった。

誰かを大切に思うことも、損得の勘定なしに誰かを守りたいと思うことも、そして、それがどのような思いの元に築かれるのかも。
私は何も知らなかった。故にそれを信じることがどうしても難しかった。
そうしたものが確かに存在するのだということを、私は理解することが出来ずにいたのだ。

「信じられないか?」

そして彼はいとも容易く私の心を読む。
そんな怖い顔をしていたのかしら。それとも彼には読心術の類が備わっていたのかしら。
非現実的な予測を立てながら、私の頭は益々鈍くなっていった。
おかしい。人と関わるってこんなにも心を温かくするものだったのかしら。

「なら、利害の一致で此処にいると思えばいい。」

しばらく考え込む素振りをしていた彼は、唐突にそんな妥協案を提示した。

コトネは今、こうして支えてくれる人が必要で、今回はそれがたまたま近くにいた俺だった。
俺は自分より成績が優秀なコトネから色々と学びつつ、俺の「守りたい」だなんて滑稽な庇護欲が、今、こうしてお前の傍にいることで満たされている。」

「……。」

「これなら、文句はないだろ。」

私は急に恐ろしくなった。目の前で行われようとしている取引は、私には到底信じられないものだったからだ。
嘘だ。貴方が私から得られるものなんか何もないのに。
私といても疲れるだけでしょう、迷惑でしょう。なのにどうして?どうして守りたいだなんて思ってくれるの?

「俺が考えたくだらないままごとに、付き合っていると思えばいい。」

どうして、そんなことを言うの。どうして私が貴方に縋ることを許してくれるの。

「私は、何をすればいいの?」

やっとのことで尋ねたそれに、彼はやはり優しく笑った。
ずっと背中に回されていた手が解かれた。彼の銀色の目が遠くなった。
彼の体温が無くなったことに心細さを感じた私は、もう彼のままごとに付き合い始めているのだろうか。
それならそれでいいと思えた。色んなことが目まぐるしく起こりすぎていたからだ。

もう何も考えたくない。取り敢えず、何処かに落ち着きたい。平穏が欲しい。
私が笑われない場所が欲しい。私がいても良いと言ってくれる場所が欲しい。だって一人は、寂しい。

「取り敢えず、俺の手を取ってくれ。」

それくらいなら今の私でも出来る。提示されたとても低いハードルに安心した私は、少しだけ、本当に少しだけ笑うことが出来た。
彼は驚き、そして、本当に嬉しそうにその銀色の目を細めたのだ。

2014.2.17

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