淡いパステルカラーのピンク色に袖を通す。こんな服を着るのは始めてだ。
そのまま動かないでね、と姉は囁き、私の髪を梳き始めた。
「コトネの髪は綺麗ね、羨ましいな。」
「そんなことないよ。お姉ちゃんの髪の色だって、とっても綺麗。」
そう言うと、彼女は本当に嬉しそうに微笑んだ。
それは自分の髪が褒められたからではない。その髪の色に、別の人を重ねて見ているからだ。
アポロ先生の恋人になった時期は定かではないが、それ以来、彼女が自分の髪を卑下することはなくなった。
以前は自分の癖の強い髪に嫌気がさしていたらしく、入学して早々にパーマを当ててふんわりとした髪型に変え、それでもコンプレックスが抜けていない様子だったのだが。
「お姉ちゃん、アポロ先生のこと、好き?」
その言葉に照れくさそうに笑い、しかししっかりと頷いた彼女は、ポニーテールにした私の髪をくるくると巻き始めた。
普段は簡単に出来るツインテールしかしたことがなかったので、髪が上に引っ張られる感じが少しだけ窮屈だ。
大きな花のヘアピンを刺して形を整える姉の姿を、私は鏡を通してじっと見ていた。
その私と目を合わせ、彼女は「コトネだってそうでしょう?」と紡いで笑った。
「もっと早く気付けばよかったわ。遅くなってごめんね。
シルバーにはアポロさんやランス先生が目を掛けていたみたいなのに、お姉ちゃん失格ね。」
「どうしてアポロ先生やランス先生が?シルバーから相談した筈、ないよね。」
彼はそんなことをするような人ではないし、したとしても先生に相談なんてまずしないだろう。
アポロ先生もランス先生も、生徒には人気だ。特にランス先生は「冷酷先生」の愛称で親しまれている。(ちなみに冷酷先生とは名前だけで、実際は冷酷さの欠片もない。)
かといって生徒のこんな、個人的な感情が絡んだことに首を突っ込んだりするのだろうか。
しかし彼女は楽しそうに笑った。
「サカキ先生っているでしょう?彼、シルバー君のお父さんなのよ。」
「…えっ!?」
「でね、アポロさんやランス先生、それにラムダ先生やアテナ先生もだけれど、彼等はサカキ先生の後輩、ないし愛弟子らしいの。
シルバー君のことを「坊ちゃん」って呼んでいて、とても可愛がっているみたい。それに、ほら。こういう類の相談、お父さんが自ら受ける訳にはいかないでしょう?」
いきなり判明した事実に、私は素っ頓狂な声を上げてしまっていた。
そうか、シルバーのお父さんがサカキ先生なのか。しかしそれなら益々問題なのではないだろうか。
サカキ先生はきっと知っているだろう。シルバーがダンスに誘おうとしている相手が私だということを。
知っていて、アポロ先生やランス先生、それに姉がその手助けをするのを黙認しているということだ。
つまりそれは、公認、ということで。
「…。」
私で良いのだろうか。どうしてサカキ先生は許してくれたのだろうか。
色んな順序を吹っ飛ばして階段を駆け上がっているような気がしていた。私の頭は短期間に大容量を詰め込み過ぎたせいでショート寸前だった。
しかしそんな頭の中を整理する時間を、姉は与えてくれなかった。相手を待たせちゃ駄目よ、と笑って送り出される。
私は廊下を走った。いつもの制服ならもう少しスピードが出る筈なのだが、折角整えた正装を崩す訳にはいかなかった。
大広間に足を踏み入れ、自分の姿が映る程に磨かれた床の上を歩く。
先程の場所では、アポロ先生とランス先生、それにラムダ先生にアテナ先生までもが揃っていた。
その輪の中央にいる生徒には見覚えがあった。黒いスーツに、燃えるような赤い髪が映えている。
ランス先生が彼の背中を押した。アテナ先生が私の方に向けてひらひらと手を振った。
彼はぎこちなく歩を進めたが、私の目の前に立つと、肩を竦めていつものように笑った。
「アポロから聞いたよ。お前、制服で来ていたんだって?」
「だ、だって誰とも踊る予定がなかったんだもの。」
途端に恥ずかしくなってそんな言い訳をすれば、コトネらしいな、と彼は呆れたように紡いだ。
彼のスーツ姿が珍しく、先生達のセレクトなのか、とても似合っている。
しかしそう言うことも出来ず、かといってその姿を凝視することも出来ず、私は彼の前で不自然に視線を泳がせていた。
「今はどうだ?」
「…。」
「誰と踊る予定で、着替えてきたんだ?」
彼は意地悪だ。普段はそんな風に言ったりしないのに。
しかしそこには彼の気恥ずかしさと、若干の不安とを汲み取ることが出来た。
「シルバーと、踊りたくて。」
すると彼は更に質問を重ねた。
「それは、今日限りか?」
そう聞くのも無理はない。当日に申し込むということはそういうことだ。
しかし連続する質問に私は苦笑していた。狡い人だ、と思った。しかしそれを許すことが出来た。
何故なら彼は既に、私に沢山のものをくれていたからだ。どうして私がそれを拒むことが出来ただろう。
「シルバーには私が、好きでもない男の子と踊るような子に見えているの?」
彼は本当に安堵したように微笑んで、首を振った。
「じゃあ、きっとそういうことだよ。」
彼はその手を徐にこちらへと伸べた。私はその手を取った。彼の手は温かくも冷たくもなかった。その温度は私のものと共有されていた。
その事実だけで、私は笑うことが出来た。それだけで十分だった。
履きなれないヒールが音を立てる。始まった曲に合わせてステップを踏む。お互いにぎこちない足取りで、だからこそ笑顔が絶えなかった。
お洒落なドレス、素晴らしい曲、広い大広間の中央。ついさっきまで端から見ていただけのものだった全ての中に私達はいた。言葉が出ない程の感動に襲われた。
「下手でしょう?私。踊ったことなんてないもの。」
「お互い様、だろ?」
私達は顔を見合せて笑った。
2013.12.8