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ホグワーツ本校、およびその巨大な校舎が存在する「魔法界」と呼ばれるこの空間には、外界にはない特徴が幾つかある。
杖を振ったり呪文を唱えたりが日常茶飯事と化している、などということは大前提として記すが、
そうした「魔法」の類が、万物における現象や本質、更には命の在り方に至るまで変えてしまうことも珍しくない。

ところで貴方は外界にいた頃、お墓の前を通ると寒気がしたり、誰もいない静かな部屋で誰かに見られている気配を感じたりしたことがないだろうか。
もし思い当たることがあるのならば、気を付けた方がいい。
それは決して貴方の気のせいではない。貴方が感じていた「何か」は確かに存在しているのだ。ただ、貴方の目に、耳に、知覚できる存在として届いていないだけで。

そんな貴方が魔法界へと足を踏み入れたなら、目に、耳に、飛び込んでくる「何か」の存在の多さに驚くことだろう。
下手をすればその「何か」の数は、魔法界に生きる生者の数よりも多いかもしれない。
「何か」を其処に留まらせている理由は、未練か、愛着か、それともただ漫然と其処に在るだけなのか。
悪霊と呼べる程、面倒な存在ではない。女神と呼べる程、慈愛に満ちている訳でもない。とにかく「何か」はただ其処に在る。在ることしかできないから、そう在るだけの話なのだ。

その「何か」のことを、私達はポケモンのゴーストと区別するためにこう記すのが一般的である。

『Ghost』

そう、あたし達のことだ。

見えるものが嫌いだ。大嫌いだ。
正確には、周りには見えないのに私にだけ見えてしまうものが嫌いだ。

「やあやあ、Ghostが見える稀有なお嬢さん、ちょっと私の話し相手になってくれませんか?」

「あら、貴方、私が見えるのね! 嬉しい! ねえ、じゃあ私の話を聞いてよ!」

ホグワーツはGhostの城だった。壁から、床から、天井から、至る所にGhostがいる。
Ghostと言っても、ポケモンの方のゴーストではない。彼等は人の形をしていて、昔は私達を同じように生きていた人間達だ。

人は死んだら何処へ行くのだろう。彼等にしか辿り着けない世界の中で、生きていた頃を振り返りながら笑い合っているのだろうか。
……そうした夢見る問いかけを踏みにじるかのように、彼等は何処へも行かず、よりにもよってこの学び舎に留まり続けている。
その中には教師として教鞭を取るもの、学生に混ざって授業を受けるもの、院生として研究を続けるものなどもいる。
しかし大抵の場合、Ghost達は何を目的にこちらの世界に留まる訳でもなく、ただただ暇を持て余している。
だからこうして生徒に絡む。暇だから、話し相手になって欲しいから。からかうのが面白いから。

「ねえ、見えているんでしょう? 私の話を聞いて?」

ねえねえ、とさっきから絡んでくるのは、私より一回り程年上の女性のGhostだ。片腕がないこのGhostはとても執拗だ。
Ghost同士でつるんでいればいいのに。しかし彼等は決して仲が悪くないにもかかわらず、生きている人間の傍を好む。
それがGhostの性なのだろうか。知りたくもないし、知ったところで協力しようなどという気も更々ないが。

一般的に成仏出来ないものは、この世に対する未練が残っているというように言われている。
しかし、今目の前を漂っているGhostはとてもそうは見えない。というか、そんなGhostが大半を占めている。
暇ならばさっさと成仏すればいいのにと思いながら、しかしその最悪な言葉を投げることだけはどうしても躊躇われたのだ。
Ghostに死の概念があるのかは定かではないが、その宣告は殆ど「死んでください」という響きに匹敵するものだと感じていたからだ。

しかしもうそろそろ、この非常識で馴れ馴れしくてうっとうしいものに、一喝浴びせてやっても罰は当たらないのではないか。
そう思い、私は声を張り上げる。

「うるさい! 話し掛けないで!」

そして叫んだ途端、後悔した。
ここは廊下の真ん中で、すれ違う生徒達がこちらを見て小さく馬鹿にしたように笑う。
大抵の場合、それらは意味をなさない不快な音で終わるのだが、たまに彼等の非難の声、嘲笑の音が確固たる響きを持って私の耳に入ってくる。

「また何か言っているよ、大きな独り言ね。」

そしてそれを聞く度に、私は一気に襲い掛かってくる恥ずかしさと悔しさと苛立ちとに立ち向かわなければならない。
恥ずかしい。悔しい。どうして私ばかりがこんな目に遭うの。
苦しい、苦しい。
私は腕の中で不安げにこちらを見上げるチコリータを抱き締めた。私の傍を選んで生まれてきてくれたこの小さな命が、ホグワーツの中では私の唯一の味方だった。

「あらあら、そんな大きな声を出しては駄目よ。あの子たちに私の姿は見えていないんだから。」

先程のGhostが笑いながら私にそう言う。その笑顔を殴り飛ばしてやりたかったが、Ghostに触れることは出来ないのだ。
私はチコリータを抱き締めて、この怒りが収まるのを待った。

そう、皆にはこの、無数にいるGhostの大半が見えていない。それは努力して見えるようになるものではなく、先天的な霊感が関与していた。
霊感が皆無な人物もいる。私の姉がそうで、彼女からは「ホグワーツはとても楽しいところだよ」と教えてもらっていた。
しかし彼女が見るホグワーツの景色と、私が見るホグワーツの景色は随分と違っていたらしい。
彼女には壁から飛び出してくるGhostが見えない。授業中に話し掛けてくるGhostの声が聞こえない。プライバシーを侵害されていることに気付くこともない。
霊感が皆無である姉が珍しい訳ではない。少ししか霊感を持たない者が殆どで、彼等はホグワーツには数人のGhostしかいないと思い込んでいる。
しかし実際は違うのだ。ホグワーツはGhostで溢れ返っている。

その身勝手さや神出鬼没である点に加えて、何よりも悔しいのは、その気持ち悪い景色を共有してくれる人が一人もいないことだ。
こんなにも人やGhostが溢れかえる空間に、霊感が薄い人よりもずっと煩く賑やかであることが分かってしまう空間に、しかし私は孤独と寂しさしか見出せない。

私の景色は共有されない。

私は走り出した。一刻も早く外に出たかった。一人になりたいときにはなるべく外へ飛び出すようにしていたのだった。
彼等の全てを振り切れる訳ではないけれど、それでも出没する数が屋内と屋外では桁違いであったからだ。

邪魔をしてくるGhostのせいで、授業もまともに受けられない。静かに食堂でご飯を食べることだってままならない。
こんな体質では友達だって作れない。仮に友達になってくれたとして、Ghostに邪魔されて楽しむどころではない。

彼等は私の霊感の強さを知っているのだ。だから執拗に私に構う。
この界隈では名の知れた有名なGhostばかりではなく、一般人では知覚の不可能な霊力の弱いGhostがこぞって私のところにやって来る。
彼等は生きている人間が好きだ。人間と話をしたり、触れ合えもしないのにその透明な手を私達へと伸ばしたりすることを楽しんでいるのだ。
しかし自分のことを知覚してくれない人間に構っても楽しくない。だから私のところへ来る。どんなGhostでも見えてしまう、強い霊感を持った私を誰もが探している。
Ghostの世界で「コトネ」という名前を知らない者はいないらしい。Ghostには、生きている人間の霊感の強さが視覚的に捉えられるのだろうか。
しかしそんなことを知ったところでどうしようもなかった。彼等の事情を知ったところで事態が好転する訳ではないからだ。
私は彼等の都合のいい遊び相手に仕立て上げられてしまっている。これはどうしようもない事実であり、変わってくれることはきっとない。
私の学園生活は、ホグワーツにやって来て数か月で袋小路に追い込まれていたのだ。

助けてほしい。

「助けて」

Ghostにすら聞こえないように小さく呟いてみる。どうせ助けを求めたところで誰も来ないのだから、だから求めるくらいは自由だと自分に言い聞かせた。

「あれ、コトネじゃない。またGhostにからかわれたの?」

やや低いアルトボイスに私は慌てて顔を上げる。
その少女は空中からすっと降りてきて、私と同じ地面に足を着ける「ふり」をした。

「K、私、人間の友達を作れる気がしないの」

私より2才程年上の女の子のGhost。私と同じ、レイブンクローの制服を身に纏っているGhost。霊感の強すぎる私を見ても、つまらなさそうに笑うだけだったGhost。
私が唯一、自ら話しかけることを選んでしまった相手であるこのGhost。
命を持たないGhostは一般に自分の本名を名乗ることは許されず、ほとんどが無名の存在としてホグワーツに留まっている。
けれども力のある存在や長く留まり続けている存在は、ニックネームのようなもので自身を記号化することが許されるらしい。
彼女はそうした少し特別な存在であったらしく、自身のことを「K」と名乗り、私にもそう呼ぶよう頼んでいた。

「別にいいじゃない、Ghostの友達でも」

「嫌よ、絶対に嫌。それに皆、自分の話を聞いてほしいだけで、私のことを友達のように見ている訳じゃないわ」

「へえ、随分と贅沢なのね。というか友達って、そんなにもがむしゃらになって作ろうとしなきゃいけないものかしら?
あんたは他の、群れなきゃ生きていけない連中みたいに窮屈でいたいの? あたしは嫌よ、そんなの」

この稀有なGhostは、私に話を聞くことを強要しない。授業中に話し掛けることも、悪戯をすることもない。
ただふらふらとやって来て、破天荒な自論をまくし立てる。一匹狼であるらしい彼女は、私と適切な距離を取って接してくれた。

「貴方は他のGhostみたいに、私のことを都合のいい存在だと思わないんだね。どうして?」

気になってそんなことを尋ねてみた。すると彼女は得意気に笑って指を2本掲げた。

「1つ目の理由は、あんたごときがあたしにとっての面白い存在にも都合のいい存在にもなれるはずがないから」

「酷い」

「2つ目は、そういう点も含めて、あんたのことを同情できる程度には気に入っているから」

自尊心をぐずぐずに煮詰めて高純度にしたものを擬人化すれば、きっと彼女のような存在が出来上がるのだろう。
そう思える程に彼女の暴言や皮肉は清々しい。だから彼女との会話を経ると私は少しだけ楽になれた。
友達がいないことを悲しみ、自身の世界が共有されないことに絶望するだけの私の弱さが、彼女の振り切れた強さに触れることでほんの少し和らぐような気がしたからだ。

2013.11.28

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