金木犀香るこの4.5畳間は臆病と卑屈の製造機という意味でまさにシェリーの部屋である

※楽しい話ではない

好きとか嫌いとか苦手とかそこまで気に入っていないとかいい感じとかそういうのでいいんだ、別に文学的な叙述を求めている訳ではないんだ。
ただどんな料理が好きで休日はどういう過ごし方をしたくて殺風景なままの自室をどのように整えたいと思っていてどんなお弁当が食べやすいかとか、そういう、そういうのだよ。
たったそれだけのことを話すのにそこまで躊躇わなくてもいいのにと思ってしまう。言葉を選ぶのは美徳であるが度が過ぎるとなんだか悲しくなってしまう。
秘匿はある程度必要だと思っているし全てを明かしてほしいとかいう欲求は持ち合わせていないのだけれど……。
そういう、そういう沈黙という名前の美徳を貫き続けるとどうなってしまうかというとね?
いちいち相手の顔色を伺いながらご飯を作ったり買い物に出かけたり外食先を選んだりする、馬鹿馬鹿しいほどに臆病で卑屈な私が出来上がってしまうという有様なのだよ?

それとも私が下品なだけで、世の立派で上品な紳士淑女の方々というのは自らの嗜好とか過ごし方とか願望とかなるべく口にしないようにして過ごしておられるのかな。
それはたとえば世間一般には夫婦と呼ばれていそうな間柄においても、品よく、粛々と振舞わなければならないとかいう、そういうことだったのかな。
それが、相手の、および相手のご一族様が求めておられる「かたち」であったのかな。

そういう訳で現在の私……もとい今年の3月からの私は、
何が相手を不快にさせて何が相手を喜ばせて何を相手が望んでおり何を相手が好み嫌うのかといった一切が分からないままという実に不毛な状態を続けているのであります。
でもこの現状に「不毛」という言葉を選んでしまうこと自体、私が幼稚かつ下品であることの証左となってしまうのかもしれないなあ……。
自信を、無くします。

いや嘘です元からこれっぽっちもない自信とかいうものがこれ以上私の中から無くなる訳がないじゃないですかHAHAHA
ハッピーハロウィン!(実に雑な着地だ)


ただ、もし、……もし、あの沈黙も秘匿も意図してのものではなく本当に彼の「個性」であり、私への不満も不安も今のところは本当に何もなくて、
クソマズ飯を作らない限りは本当にどんなものでも美味しいと思ってくれていて、代わり映えのしない毎日のお弁当へのリクエストは本当に何一つなくて、
私が「先生のために」と意識して何かを行おうとすることをあちらは本当にこれっぽっちも望んでいなくて、
私は本当に、本当の意味で彼に「ただ同じ屋根の下に在るだけで許されている」のだとしたら、
……いややめよう、そのような気持ちの悪いことがこのままならない世界において起こるはずがない。

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