別にイズルに懸想しているとか恋をしているとか性的に蹂躙されたいとかそういう想いを持っているなどと言うつもりは微塵もございません。
ただ、彼という存在への異常な執着というのは、ポケットモンスターにおけるどの方に対しても持てなかったものです。
この執着に最も近しいのはクリスさんですが、彼女には私が個人的に捏造した設定を付加しているため、原作に忠実であることを条件に加えると本当に、いない。
ビジュアル……とても綺麗な目をしていますよね。性格……ええ好ましく思っていますよ。声……あの平坦な調子は聞いていてわくわくしますよね。
でもそういうんじゃないんです。キャラクターとして魅力的という話ではないんです。
私は「彼という存在が存在し得るという事象」に魅力を感じずにはいられないんです。
彼という存在を創造した方がこのジャパンにいらっしゃるという事実、彼という存在が私達に問いかける何かしら、彼という存在が私に見せてくれた夢。
私はきっとその全てを愛しており、これからも彼という存在について想いを馳せる度に、「彼」のようになりたいと思う度に、幸せな気持ちになれることでしょう。
ただ、此処まで彼に傾倒する予定は私には全くありませんでした。
そもそも私がダンガンロンパ1・2リロードを遊んだのは去年の秋のことであり、その折には別に彼について想いを馳せることなどしていなかったのです。
では何故「今」だったのか。何故あれから半年以上経った頃になって私は、7年前のゲームの登場人物への想いをこうして赤裸々に綴るに至っているのか。
恐ろしいことですが理由なんて一つしかありません。書いてしまったからです。彼を書こうと思ってしまったからです。
ポケットモンスターの連載「天を読む藍」を書く前に、私はプラチナの登場人物について、プレイ動画を見たりソフトを再起動させたりして深く思いを馳せました。
ギンガ団について書くには、当時の私には何もかもが足りなかったのです。
彼等への執着や愛着めいたものを抱いてからでないと、原作の彼等を思わせる「生きた存在」を書くことが叶わないように思われたのです。
彼等への思い入れ、彼等への考察、彼等の作り得た未来の可能性、彼等に見ることの叶う夢、そうした全てを丁寧に拾い集める必要性が出てきました。
その結果として、それまであまり意識していなかったギンガ団という組織に対して、私は深い思い入れを抱くに至ってしまいました。
書くために、彼等の夢を描くために、長く深く彼等のことを考え続けていたのですから、当然のことでした。
こうした「深く潜りゆく考察や思い入れ」というものは、長らくポケットモンスターの世界観のみで行ってきました。
長く深く考え続けることで得られる何にも代え難い満たされた心地というものは、
その世界が「夢と冒険とポケットモンスターの世界」であるからこそ得られるものなのだと、私は長らく、かたく信じてきました。
でもどうやら、そうではなかったようです。
私における「愛」とかいうもののトリガーは、ビジュアルとか声とか性格とか口調とかそういうものでは一括りにすることができないもののようです。
「書こうと思うこと」という、この一点に集約されるしかないものであるようなのです。
だから「イズルを書こう」と思った時点で私は彼という概念に敗北せざるを得なかったのでしょう。
完敗です。愛しています。
ところで総合感冒薬のPL顆粒ってごっつ眠たくなるね。すっごい眠れるね。睡眠薬かなってくらい眠れるね! やったぜ。