置いて行かれたと感じてしまったとして、その辛さから生きることを諦めたとして、それは愛とかいう奇妙な鎖に縛られている以上当然と言ってもいいのではないか。
だから最後の最後まで生死不明だった人についても、「ああ、あの人は生き残ったのかもしれない、よかった」じゃなくて、
「ああ、あの人は生き残ってしまったのかもしれない、独りで、可哀想に」とかいう風に思ってしまう。
これまでは「それでも生きている」「辛いことがあっても生きている」ことは美徳であり希望だととばかり思っていたけれど、それを見事にひっくり返されたような心地がする。
いや、うん、私も死ぬかな。あそこまでたった一人に陶酔して、その人しか世界にいないような状況で、そのたった一人に先立たれたら、そりゃあ死ぬかな。
あれだよ、ラルトスに先立たれたシェリーに一人で生き続けるだけの力は残っていなかったっていう某夜顔のあれと同じ理屈だよ。何もおかしくないな。
愛とは恐ろしい。それさえあれば何も要らないような気がしてくるから。それが失われてしまえばもう生きる意味などないように思われてくるから。
彼等は生きるためにもっと策を講じるべきだった。何かを失っても、愛が絶えても生きていかれるように精神をコントロールすべきだった。
それができない程に強い愛だった、それができない程の凄惨な過去が彼等にはあった、それができないような時代背景だった……。
原因は色々と考えられるけれど、ロミオとジュリエットやハムレットのような例の四大悲劇を彷彿とさせる愛の描写であったことには違いない……かな。
彼等は等しく怪物であった。私も「そういう」怪物になりたかった。