あたしは捻くれていたから、皆が熱狂的なまでに愛するそのゲームの価値がよく分からなかった。
ただただ悪趣味だと、惨たらしいことだと、そう思っていたのだ。
平穏のままに、静かに生きていかれるのならそっちの方がいいに決まっている。コロシアイなど、ない方がいいに決まっている。
ない方がいいと望んだからこそ、平和に焦がれたからこそ、それに向かって努力し続けたからこそ、今のこの、争いのない平和な世界があるのだ。
にもかかわらずコロシアイという悪趣味なものに熱中する彼等は、人が死に、人が殺し、人が生き残ることを喜ぶ彼等は、
まるで過去に起きた凄惨な戦争や大虐殺を、我が事として体験したがっているかのような狂気に満ちていた。
少なくともあたしの目にはそう見えた。おかしなことだと、惨たらしいことだと、そう思っていたのだ。
「ねえねえ香菜ちゃん、オレ、受かったんだよ!」
だから、クラスメイトの男の子が、背の低い中性的な雰囲気を持つ教室のアイドルが、数日前にあたしに告白してきたその人が、
あの悪趣味なゲームの53作目に呼ばれることになったと聞いて、あたしは、これ以上ないほどに絶望したのだ。
「オレの活躍、ちゃんと見ていてくれよな! いっぱいかっこいいところを見せて、香菜ちゃんにオレのことを好きになってもらうんだ」
「……」
「才能の希望、通っていたらいいのになあ。超高校級の総統、っていう肩書きで応募したんだけど、もしかしたら変えられちゃっているかもしれないね」
……いくらそのゲームを嫌っているといっても、国民的アイドルをテレビで見ない日はないのと同じように、
そのゲームはあたしが望もうと望まざるとも、あたしの目に飛び込んできては、あたしを不快な気持ちにさせた。
ピンク色に映像加工された血、変なデザインのクマが主催する学級裁判、クロへのおしおき、徐々に減っていく登場人物……。
この狂った国に住む狂った国民は、それを「ゲーム」のこととして楽しむだけでは飽き足らず、
この平和な国に生きる平和な国民の中から「参加者」を選び抜き、あのゲームを再現したバーチャル空間で、本物のコロシアイを行おうとしていたのだ。
その「究極のリアルフィクション」の中に、このクラスメイトの男の子が、教室のアイドルが、あたしに告白してきたその人が、選ばれてしまった。
彼がそれを望んだから、そうなってしまった。
「馬鹿じゃないの?」
「……えっ」
「あんなゲーム、悪趣味だわ。そんなものに参加できて喜ぶなんて、そんなもので自分を好きになってもらおうなんて、どうかしているわよ!
あたしは、見ないからね。たとえバーチャル世界の出来事であろうとも、あんたが誰かを殺す姿や誰かに殺される姿なんて、絶対に見ないからね!」
そんなものに参加しなくたって、そんな惨たらしい世界で自らの雄姿をひけらかそうとしなくたって、貴方はあたしの「好き」を得ることができた。
あたしを好きになってくれた貴方を、悪戯好きで狡猾で、けれども寂しがり屋で孤独を恐れるところのある貴方を、あたしは好きになりかけているところだった。
この平和な世界で、あたし達の生きるべきこの平和な場所で、貴方が変わらずあたしの名前を呼び続けてくれれば、あたしは間違いなく貴方を好きになった。
「ねえ、辞退しなよ。死んだり殺したりするの、王馬には似合わないよ」
そんなところに飛び込まなくたって、貴方は十分に魅力的で、素敵な人だった。
「ごめんね、香菜ちゃん。オレは参加するよ。ようやくダンガンロンパ行きの切符が手に入ったんだ。ずっと行きたかった世界なんだ。オレの夢だったんだ。
それに、あの世界に行けば、あの世界で生きてみれば、もしかしたら、あのゲームを嫌う香菜ちゃんの気持ちが分かるかもしれない」
そう告げて、彼はあたしの前からいなくなった。夏休みを明日に控えているにもかかわらず、いやに涼しい夏の夕刻のことであった。
そうして始まった夏休み、あたしは家から一歩も出ずに過ごした。
見ないからね、と威勢よく言い放ったにもかかわらず、あたしはその翌日から、テレビの前で1日を過ごす正真正銘の引きこもりとなったのだ。
リアルタイムで放送される、バーチャル世界での暮らし、バーチャル世界でのコロシアイ、バーチャル世界での学級裁判。
それらを一瞬たりとも見逃すまいと、あたしは躍起になっていた。
最先端の技術で作られたその世界は、あたし達の生きる世界と何ら変わりなかった。終業式の日に見た彼の姿がそのままテレビに映っていた。
あたしは、気が狂いそうになりながら、心臓を張り裂けそうな程に大きく揺らしながら、記憶を奪われ、コロシアイを強要されて怯える彼等を、見ていた。
どうか、殺さないでほしい。どうか、死なないでほしい。どうか、最後まで生き残ってほしい。
どうか、殺してほしい。どうか、死んでほしい。どうか、一刻も早くリタイアしてほしい。
相反する願いを抱えながら、あたしは瞬きすら忘れてテレビを見ていた。何を願っているのか分からないままに、ただ見ていたのだ。
貴方のことが好きだった。コロシアイのない、学級裁判を行わなくていい、この平和な世界に生きる貴方が好きだった。
小さな悪戯を繰り返して周りを笑わせる貴方が、誰かを楽しませることで心の安寧を得ているようなところのある寂しがり屋の貴方が、好きだった。
そんな貴方が、悪戯の一切をしないままにあたしのところにいてくれることが、嬉しかった。貴方があたしの名前を呼んでくれるだけで、嬉しくなれた。
「……」
そこまで考えて、あたしは気付いてしまった。気付いて、そしてどうしようもなく恐ろしくなって、夏であるにもかかわらず震えが止まらなくなったのだ。
『いっぱいかっこいいところを見せて、香菜ちゃんにオレのことを好きになってもらうんだ』
彼は、あたしが彼のことを好きになっていたと知っていたのではないか?
小さな悪戯を繰り返して周りを笑わせる彼を、あたしの名前を呼んでくれる彼を、あたしが既に好きになっていたということに、彼は気付いていたのではないか?
気付いて、嬉しくなって、けれども同時に彼は恐れたのではないか?
あの悪趣味なコロシアイの中に生きる自分であっても、あたしは彼を好きになるのだろうかと、そんな風に考えてしまったのではないか?
もしかしたらあたしが彼を好きになったのは、この世界が平和であったからなのではないかと、そう、捉えてしまったのではないか?
彼はあの残忍な世界の中へと飛び込むことで、殺したり死んだり生きたりする己を晒すことで、あたしの「好き」の本質を裁こうとしているのではないか?
寒い、と思った。エアコンを付けることさえ忘れていたこの自室は30度を超えていて、額には汗をかいていたけれど、それでも寒かった。恐ろしかったのだ。
酷い人だ、と思った。なんて狡い、と思った。けれども同時に、寂しがり屋で孤独を恐れる彼らしい挑戦だ、とも、思ってしまって、そんな自分に吐き気がした。
手が震えている。涙が止まらない。死んでしまいそうだ。
けれどもあたしは死なない。何故ならあたしが生きているのは平和な世界だからだ。この世界では誰もあたしを殺さないからだ。
死んでしまった方がマシだ、とさえ思える恐怖と後悔と懸想を抱え、あたしは泣いた。
この涙に意味がないことは分かっていた。被告の席で涙を見せても判決は変えられない。
それでも泣いた。裁きの場に立たされたあたしの想いと共に泣いた。泣き続けた。それでもテレビから目は、逸らさなかった。
今ならこの気持ちに「死」という罰さえ与えてくれるであろう、あのゲームに焦がれた皆の心情が、少しだけ分かる。分かってしまう。
貴方を嫌ってしまうかもしれない。貴方を恐れてしまうかもしれない。貴方を疎んでしまうかもしれない。
貴方を好きになり続けてやる。貴方を決して恐れたりなどするものか。絶対に貴方を疎んだりなどしない。
相反する願いを抱えながら、あたしは瞬きすら忘れてテレビを見ていた。何を誓っているのか分からないままに、ただ見ていたのだ。
貴方に会いたい。貴方に名前を呼んでほしい。貴方のことがずっと前から好きだったよと、どうか、戻ってきた貴方にそう言わせてほしい。
2019.4.7
コグマさんへ
→ 想いよ、さあ偽りなく真実を