まるで生きているかのような最高の不穏

再び書くようになって、嫌なことが沢山、沢山、ありました。
けれどそれ以上に素敵なこと、幸いなことを沢山、沢山、思い出せました。

いいこともよくないことも味わい尽くして、やっと1年前の私を生き戻すことが叶って、思うのは「ああ、これがいっとう私らしいな」ということ。
書かなければ今回のことだってきっと此処まで苦しくはならなかったことでしょう。考えることを忘れ続けていれば、もっと穏やかに過ごせたのでしょう。
けれども私は私らしく、今回の出来事を悲しみ抜き苦しみ抜くことができています。それができていることを、喜んでいます。
だからこれでいいのだと思います。

その「私らしさ」が一般的に見て最低で不遜で倫理に悖るものであったとしても、構わないと思うことにします。
私はこの私を、この不穏で不遜で不躾で不実な私を肯定してくれるたった一人のために、「私らしさ」を手放さず、此処で生き、此処で書こうと思います。
それが私の貫くべき「誠意」であると信じています。

© 2025 雨袱紗