※軽く捏造。重たい。
「無理だったんです」
少女はそう呟いた。その言葉は確かにたった一人に向けて紡がれたものであったのかもしれない。
しかし今、その言葉を届かせるべき相手はもう居ない。此処には少女の望む相手は居ない。解っている。解っているのだ。
それでも少女は此処を訪れた。フラダリカフェではいけなかったのか、ヒャッコクの日時計でも良かったのでは。
そうした他の場所にも拘らず、此処でこんな言葉を吐いている理由を、自分のことながら、少女は未だに把握できずにいた。
敢えて即席の理由を用意するとするならば、この何処かに少女の望む相手が居ると仮定して、それを最も信じられる場所が他でもない此処だったからだ。
この瓦礫の中に彼が居るといい。居ないならもっといい。それは彼が生きているということだから。また新しい野望を抱えて、私の前に現れてくれるということだから。
そうでないならば、そうでなくとも、きっと此処が少女の望む相手に最も近い場所だったのだ。
即席と言いながら、十分な理由を頭の中で組み立てられたことに少女は満足していた。
「フラダリさん」
自分の口からこの名前を紡ぐのは本当に久しぶりだった。
少女だけではない。元々カロスに名を馳せていた有名人の彼の名前は、あの日の事件を境に誰にも紡がれなくなってしまった。
それはまるで暗黙のルールであるかのように、誰もが彼の話題を口にすることを避けた。フレア団の名前は頻繁に出てきても、彼の名前を聞くことは本当になくなってしまった。
そうすることで、皆は何をしようとしているのだろう。
彼を忘れようとしているのだろうか。カロスを脅かした一人の人間をなかったことにして、再び美しいカロスを守ろうとしているのだろうか。
もしそうなら、と少女はほぼ確信に変わりつつあるその仮定を思った。もしそうなら私はこのカロスを軽蔑する。
私が守ろうとした全てのものを軽蔑して、早々にこの場所から去ってやる。
過去を忘れる人はそれを繰り返すように義務付けられているのだ。過去を忘れようとしている人はそれを繰り返されることを許容しているということだ。
それが美しいカロスを守るための行動なのだとしたら、やっていることは彼と変わりない。
カロスの美徳主義にはもううんざりだった。少女はカロスを見限り始めていた。
今度、彼が再び同じ野望を引っ提げて、私の前に現れることがあったなら、その時は、彼の見方をしよう。そう少女は決意していた。
今なら彼の言っていたことが解るからだ。カロスは醜い。皆があの事件をなかったことにしている。
最初こそ、あまりにも悲惨な事件に蓋をしたいがための行動なのだろうと思っていたが、数か月たった今でもそれは変わらなかった。
あの事件は忘れ去られようとしていた。美しいものが大好きなカロスの人間によって。
「私が間違っていたんです、フラダリさん。私が守ろうとした世界はこんなものだったんです」
セキタイタウンのこの場所も、もうすぐ埋め立てられてしまうという。
観光名所が多数あるカロスの土地に、いつまでもこんな傷跡を残すわけにはいかない、ということなのだろう。
少女にはもう、反対する気力もなかった。だから黙って此処に来たのだ。ひょっとしたら、私もろとも埋め立ててくれるかもしれないと少しだけ期待したのだ。
生への倦怠感は徐々に、しかし確実に彼女を蝕み続けていた。
「でもフラダリさん、貴方も間違っています。貴方の愛したカロスは美しくなかったからです」
少女は幻滅していた。彼が滅ぼし、守りたかったカロスはこんな場所だったのだと。
それにもう少し早く気付けていたなら、私は間違いなく彼の見方をしたのに。
そう言いながら、そんな機会はもう二度と来ないことを少女は知っている。
それに、いざそんな機会が来てしまえば、やはり守りたいものの多さに押しつぶされてしまうことも知っている。
美しさよりも、積み重ねてきた絆を選んでしまうことを知っているのだ。
どのみち、少女の道は袋小路だったのだ。誰が彼女を責めることが出来ただろう。
ただ言えるのは、そうまでして少女が選んだ選択肢によって、少女は幸福になりえなかったということだ。
少女は自分が守った世界を愛することが出来なかった。あの事件を忘れ去ろうとしているカロスに幻滅した。
自分の取った行動は本当に正しかったのか、それならばこれからどうやって生きていけばいいのか。
少女は迷っていた。迷い続けていた。
「きっと、私やフラダリさんのような人は、生きるのに向いていないんですよね」
少女は悲しげに笑って、瓦礫の山に腰を下ろした。
解っている。解っているのだ。世界は忙しなく回っている。皆が皆、生きることに精一杯だった。
あの事件はイレギュラーで、人々はいつまでもその非日常に浸り続ける訳にはいかないのだ。
何故なら観光名所でそうした事件が起きたと話題になってしまえば、そうした観光事業を生業としている人達が路頭に迷ってしまうからだ。
彼等も生きているのだ。生きなければならないのだ。だから仕方のないことなんだよと、いつかプラターヌ博士が言っていたような気がする。
それでも私は許せなかったのだ。そうした明確な理由を持つ人ばかりではないことも知っていたからだ。
面倒だから。陰気な話は嫌いだから。美しいカロスを守るために、カロスの人々は共犯者となった。
そしてそこで生きるためには、私のその共犯に加担しなければいけなかったのだ。
あの事件を忘れて、再び美しいカロスを守り続けなければいけなかったのだ。
しかしそれを、私は許せない。私の良心は許さない。
「だって綺麗に生きるためには私を捨てるしかないから。それを妥協してしまえば私は私ではなくなるから」
きっと彼も、妥協できなかったのだろう。自分を捨てられなかったのだろう。自分と世界とが共生し得ないから、だから彼は世界を変えようとした。
それならば私はもう一つの方法を取ろう。
「でもね、フラダリさん。私は死ぬことも出来ないんです。死に方が解らないから。どうすれば貴方に会えるのか解らないから」
だから私は私のままカロスを去ろう。今日はそのためのお別れに来たのだ。
次にカロスの土地を踏むことがあるとすれば、それは彼が生きていた時だ。再びその高尚な理念を引っ提げて、カロスを脅かすために行動を起こした時だ。
その時には、何処で何をしていても駆けつけよう。誰よりも先陣を切って、彼の元へと駈け出そう。
だからそれまで、死なせて下さい。
少女がカロスから忘れ去られるまで、そう時間は掛からないだろう。少女が見限った土地はそういう冷たい無機質な場所だった。
旅をして、重ねてきた多くの時間にも拘らず、不思議と未練はなかった。そうしたものはきっとこの瓦礫の山と同じくらいなものに成り下がってしまったらしい。
そうして残った唯一の未練を、私は此処に置いて行こう。きっと彼はそれを許してくれる。
「さようなら、フラダリさん」
少女はとびきりの笑顔を浮かべた。涙は出なかった。それもきっとこの瓦礫の山に置いてきてしまったのだろう。
2014.2.12
だって綺麗に生きるためには私を捨てるしかなかった。