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この町にいる大人は、この町で暮らすお兄さんやお姉さんは、まるで子供みたいだ。
あなたはこの町で沢山の人と出会う中で、そう思うことが多々、ありました。それは決まって、彼等があのような悲しい目をするときに思うことなのでした。

ミヅキならこの窓から出て行きましたよ」

食器を片付けていたザオボーは、泡の付いた手でダイニングにある窓を指差しました。
クリスは楽しそうに笑いながら「それじゃあ私達もこの窓から出て、ミヅキちゃんを追いかけようかしら」と告げつつ、その窓のサッシに手を掛けたのですが、
ややってから小さく溜め息を吐き、あなたの方を振り返って残念そうに首を振りました。
彼女の仕草の意図するところが解らず、あなたは彼女の傍に駆け寄って窓から顔を出しました。

「!」

どうやらこの民宿の南には用水路が流れているようです。
深さ3m、幅4m程の、コンクリートで舗装されたその川には、70cm程の水が満たされており、ゆっくりと海の方へと流れていました。
あなたの住んでいた街にもこのような用水路はありましたが、その水がどこまでも澄んでおり、ゴミの一つも見当たらないという点において、
やはり用水路ひとつ取っても、あなたの街のそれとは決定的に異なっているのでした。

この窓は用水路に面しています。此処から外に出るには、この幅4mの川幅を飛び越えるか、あるいは用水路に飛び込んで泳ぐしかありません。
ただの子供であるあなたに、そのような芸当は不可能でした。クリスもそれが解っているから、あなたの方へと振り向いて首を振ったのでしょう。

あなたやクリスはこの窓から外へ出ることができない。けれど「ミヅキ」は出て行くことができる。その理由を、あなたは計りかねていました。
もしかしたら、鳥ポケモンを連れているのかもしれない。「ミヅキ」は空を飛べる子なのかもしれない。「ミヅキ」はあなたよりも、ずっと自由な子なのかもしれない。
あなたはまだ見ぬ少女に思いを馳せていました。どんな子なのだろう、という期待は、あなたの中で少しずつ大きくなり始めていました。

セラ。君はクリスと仲良くできる数少ない人間です。もしかしたらミヅキにも、目を付けられてしまうかもしれませんよ。気を付けることですね」

くつくつと喉を鳴らすように笑いながら、ザオボーはそう告げました。
あなたは首を傾げつつ「友達になれるのなら、ミヅキとも仲良くなりたいです」と告げました。
ザオボーとクリスは驚いたように目を見開いて、それから声を上げて笑い始めました。
ザオボーは「ああ、可哀想な子だ」と言いました。クリスは「ミヅキちゃん、きっと喜ぶわ」と言いました。
あなたはどちらの言葉を参考にしていいのか解らなかったので、あなた自身の感情に従いました。ミヅキに会ってみたい、という真っ直ぐな感情でした。

あなたとクリスはもう一度、ザオボーに蕎麦のお礼を告げて、民宿を出て行きました。
同時に、向かいのカフェからフラダリが姿を現し、二人に会釈をしてから、カエンジシと一緒に小学校の方角へと歩いていきました。

「さっきは小学校しか行かなかったけれど、あの校舎の向こうに中学校もあるんだよ。この町には子供が少ないから、運動会みたいな行事は小学校と中学校で一緒にするの」

「だから小学生と中学生が仲良しなんだね。私の住んでいる街じゃ、そういうことは殆どないから、少し珍しかったんだ」

あなたの通っている小学校でも、6年生と4年生が一緒に遊んだりすることは、そう珍しくありませんでした。
けれども6年生は、あと1年経てば中学生になってしまいます。
かっこいい制服を身に纏い、自転車で登校するようになった彼等にとって、小学校が「過去」のものとなるのは避けられないことだったのでしょう。

『3月まではいつも一緒だったのに、4月からは部活動やテスト勉強で忙しくて、全然、遊んでくれないんだ。』
『中学生ってつまらないね。』

そうした言葉を、あなたはクラスメイトからよく聞いていました。あなたはあと1年で、その「つまらない」中学生になってしまうことを、少しばかり不安に思っていました。
けれどもこの町では、小学生と中学生の境はないに等しく、更に言えば、小学生と高校生の境も、また子供と大人の境さえも、どうやら殆ど存在していないようでした。

「この町では年上の子供とも年下の子供とも、貴方が望むなら大人とだって、友達になれるのよ」

クリスのそうした嬉しい言葉に微笑みながら、あなたは「ポケモンとも?」と尋ねました。
彼女は歌うように「そうよ!」と告げて、あなたの手を強く握り締めました。

赤の他人の家でお蕎麦をご馳走になることができたり、今日出会ったばかりのお姉さんにこんなにも親切にしてもらえたり……。
そうしたことは、あなたの住んでいた都会ではまず起こり得ないことでした。
この町には本当に「家族」と「友人」と「他人」の境がないようで、けれどもそれが、小学6年生のあなたにはとても心地が良かったのでした。

皆と仲良くなれるのなら、皆のことを大好きになれるのなら、そして皆にも大好きになってもらえるのなら、その方がいいに決まっている。
あなたは本気でそう思っていました。けれどそう思わない人も確かにいるのだと、あなたは知っていました。

『そうなんですか?どうして?誰にでもこうしてあげたら、きっと皆お姉さんのことを大好きになるのに。』

行きの電車の中で、不敵に微笑んだあのお姉さんのことを思い出しました。
あのお姉さんは、この町のこともポケモンのことも知っていたお姉さんは、けれども「誰とでも仲良くなる」ことをどうにも拒んでいるように思われました。
あなたにだけ優しくしてくれたその理由に、あなたはまだ思い至ることができていませんでした。
それでも「あのお姉さんが優しくしてくれるのは、あなたにだけ」という事実は、あなたの胸を不思議な心地良さでくすぐっていました。
まるであなたが「特別」であったかのような、そうした錯覚を抱きそうになるのでした。

あなたとクリスは手を繋いだまま、竹林の中へと入っていきました。
あまりにも高く伸びたその植物を見上げて、あなたが口を開けていると、クリスがこの林について説明してくれました。

「竹はとても成長が早い植物なの。春の早朝にはタケノコを取る人で賑わうんだけど、もうそんな時期は過ぎちゃったから、夏は竹も伸び放題なんだよ」

「えっ、タケノコが大きくなると竹になるって、本当だったんだ!」

「ふふ、そうよ!貴方が想像しているよりもずっと早いスピードで、竹はあっという間に成長するの。可愛いタケノコでいられる時間は、ほんのちょっとしかないのよ」

「そうなんだね。命って不思議だなあ。セミなんか、幼虫のまま何年も土の中で過ごして、やっと大人になれたと思ったら、2週間くらいですぐ死んでしまうのに」

あなたがそう呟くと、クリスがアスファルトに視線を落として「あ」と呟くのとが同時でした。
あなたが彼女の視線を追うと、そこにはセミの抜け殻が仰向けの状態で転がっていました。
彼女は駆け寄って、それを指先で摘まんで拾い上げました。虫が格別苦手な訳でもなかったあなたは、クリスが素手でそれを持ったことを、気味悪く思ったりはしませんでした。
……少し、驚きはしたかもしれませんが。

「この中にいたセミは、今、何処で鳴いているんだろうね。それとももう、眠ってしまっているかしら」

彼女はそう呟いて、まるで宝物を抱えるかのようにそれを両手で包んでから、アスファルトの隅にそっと戻しました。
あなたはそれを見届けてからそっと目を閉じて、遠くから聞こえてくるセミの声に耳を澄ませました。大きな声で鳴き続けるセミたちに、あなたは呼び掛けてみたくなりました。

この殻から出てきたのは、どなたですか?
地上は暑くないですか?地下での生活は窮屈でしたか?空は綺麗ですか?空気は美味しいですか?日差しは、眩しくありませんか?
にわか雨に降られていませんか?羽を濡らしていませんか?仲間に出会うことはできましたか?寂しい思いをしていませんか?

あなたは、悲しくありませんか?
もっと生きていたくありませんか?

ぐしゃっ。

「!」

そんなあなたの呼びかけは、あまりにも残酷な音によって遮られました。
慌てて目を開けば、そこにはあなたよりも少しだけ背の低い、黒い髪の少女が立っていました。
ニコニコと笑いながらあなた見つめるその瞳は、黒とも茶色とも似つかない、色素の薄い黒……煤色をしていました。

「こんにちは、セラ!」

「……」

「さっき、民宿に戻ったら、ザオボーさんが貴方のことを話してくれたの。私を探してくれていたんでしょう?嬉しい!」

向日葵のような笑顔を湛えた少女でした。その笑みはあなたがこれまで出会ったどんな子供のそれよりも、無垢で無邪気で可愛らしいものでした。
けれど先程までクリスが大切にその手で包んでいた、そしてあなたが静かに思いを馳せていた相手であるセミの抜け殻は、ただ静かに黙して「そこ」にぽつんと佇んでいました。

彼女の靴の、下に。

「初めまして。私がミヅキだよ!」

2017.8.8

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