※50万ヒット感謝企画、参考アニメ「今日からマ王!」第三シーズン13話
人間界に生きる平凡な学生であった筈のトウコは、しかしひょんなことから異世界に身を投じ、眞魔国の魔王として生きることになる。
大シマロンという国では次々に国王が入れ替わる事態が起きており、隣国の小シマロンの国王はその混乱に乗じる形で、大シマロンを滅ぼそうと目論んでいた。
トウコとその部下たちは各地で盗まれた宝剣を取り返すため、謎の組織「白い鴉」と対峙していた。
彼等の罠に嵌められたトウコたちだが、その窮地を救ったのは、小シマロンの紋章をその衣服に刻む、たった一人の男だった。
その後、トウコ一行は小シマロンの国王と顔を合わせることになるのだが……。
*
弓矢を引き、白い鴉の刺客を次々と足止めしたたった一人の男は、私たちの傍に緩慢な足取りでやって来た。
見上げれば首が痛くなってしまいそうな程の長身を深々と折り曲げる。肩にやわらかく広がる髪は、重力を忘れたかのように、僅かな風に吹かれてゆらゆらとはためいた。
長く頭を垂れていた男は、しかしたっぷりの時間をおいて顔を上げた。
右目には赤と黒の奇妙な形のモノクルを付けていて、隠れていない方の左目は血の色をしていた。
毒々しい色だ、と思った。これは人を殺めたことのある目だ。
人の心臓を止めるだけでなく、その目で多くの人の心を殺してきたのであろうと、何の根拠もなしにそんなことを想像してしまいそうになる、危険で奇妙で、不気味な目だ。
赤い目をした人物に出会ったのはこれが初めてだった。だから、そんな風に思ってしまったのかもしれない。
けれど私は、こいつと全く同じ髪の色をしていて、尚且つ、もっと綺麗な色をした目を知っていたから、どうにもこの男は気持ちが悪いと、思ってしまったのだ。
生理的な気持ち悪さではなく、心臓に直接訴えかけてくる、強烈な違和感と不快感を伴った気持ち悪さだった。
その美しい緑の髪を授かるべきは貴方ではないのだと、そんな、あまりにも傍若無人で身勝手な思いが私の中でぐるぐると渦巻いていた。
けれど私だってこの世界では「魔王」と呼ばれるとんでもない身分だ。自らの発言に気を配らなければいけない立場にあるのだ。
そうした身勝手な思いを抱きこそすれ、それを表情に出したり声に示したりするなんて、とんでもないことだということくらいよくよく解っている。
解っていたから私は「何か用ですか?」と、努めて平穏そうにそう口にしてみせた。
「我が小シマロンの国王が貴方にお会いしたいそうです」
え、と私の後ろでチェレンとベルが声を上げた。振り返らなくても解る、きっと二人の目は驚きに見開かれているのだろう。
きっと私だって、彼等と全く同じように驚いている。自分の顔を鏡で確認するまでもなかった。
私はその立場柄、いろんな人と交流をする機会に恵まれていたけれど、小シマロンの人たちとは全く関わったことがなかったからだ。
確か、大シマロンの城で行われたパーティに潜入した際、「この城に小シマロンの国王が来ているらしい」という噂は耳にしたような気がする。
けれど、あの日を最後に私の心の中からは「小シマロンの国王」も、その国の存在も、すっかり消え失せてしまっていた。関わることなどないのだろうとたかを括っていた。
教育係のアララギ先生に、小シマロンのことを教わったのだってもう随分と前だった。
そこまで勉強に熱心でなかった私は、その国の紋章が不思議な模様を刻んでいるなあ、などという陳腐な感想を口にするだけで終わっていたように思う。
そんな、こちらと全く関わりのなかった筈の国が、どうして私たちを助けてくれたのだろう?
そして何故、魔王である私に直々に会うために、こんなところに出向いているのだろう?
解らないことが多すぎた。振り返ってチェレンをそっと見たけれど、彼も「解らない」という風に肩を竦めて笑うだけだった。
目的が解らない。何故こんな何もない平地に、一国の王が出向いてきたのか、その理由も解せない。この血の目をした男に尋ねることは少しだけ恐ろしい。
それならば会ってみようと思った。少なくともその国の王に興味はあったし、私は人と話をするのが好きだ。断る理由を探すことも困難だった。
「いいですよ」と告げれば、彼は「ありがとうございます」と告げてまたしても頭を下げた。
踵を返してどこに隠れているのか見当もつかない王様を呼びに行くのかと思われたけれど、彼が頭を上げるのとほぼ同時に、近くの森からあまりにも大きな羽ばたきが聞こえた。
思わずそちらへ視線を向ければ、一匹のポケモンが大きな翼を広げて飛び上がり、こちらへとまっすぐにやって来た。
白い、ポケモンだった。具体的にどこが白い、などと探す必要などなかった。白くないところなど何一つ見つけられなかったからだ。
唯一、射るような青い目だけが、その大きなドラゴンポケモンに「色素」と呼ばれるものを落としているように思われた。
私の眼前に降り立ったそのポケモンの背中には、血の目をした男と同じ、緑の髪の青年が乗っていた。
かなり高い位置からひょいと飛び降りた細身かつ長身の彼は、すっと顔を上げて私を見た。
「!」
私はこの男を知っていた。
私の後ろに立つチェレンやベルはきっと気が付いていないのだろう。けれど私は覚えている。彼のことを私はずっと前から知っている。
どんなに美しく「女性」を作ろうと、その背丈を誤魔化すことはできないのだと、長身なのも困りものだと目を細めて楽しそうに笑ったドレス姿の彼を、私は覚えている。
緑の長い髪を持ち、色素の薄い、水に溶かしたような瞳を持つこの男の手を取って、私はあの城で踊ったのだ。
女性の格好をしていながらしっかりと男性のステップを踏む、この下手な変装をした男と、私は笑い合った。
『この城に小シマロンの国王が来ているらしい』
誰が口にしたとも知れないあの噂は真実だったのだと、あの日から長い時を経て、私はようやく確信するに至ったのだ。
「……あんた、王様だったの」
腑抜けた声でそう紡いだ。彼はあの夜を思い出させる眉の下げ方で、困ったように肩を竦めて笑ってみせた。
貴方とのダンスはそこそこ楽しかったのだと、また何処かで貴方に会えないかと、新しい土地に足を踏み入れる度に私は期待していたのだと、
そんな、こいつに会ったら言おうと考えていた何もかもを飲み込んで、私は「トウコ」としてではなく「魔王」として向き合わなければいけなかった。
それが私とこの男における正しい形だと、弁えていたから私は、口にしたかった全てをなかったことにした。
彼はそんな私の意図的な沈黙に気付き、やはり困ったような笑みを見せた。
……違う。
私は確かにこいつに会いたかった。いつかどこかでばったり顔を合わせるのではと期待していた。
けれど、それはこんな形ではない。私は、小シマロンの国王に会いたかった訳では決してない。
「単刀直入に言おう。キミの国、眞魔国派の同名に小シマロンを加えてほしい」
私は、あんたのそんな言葉を聞きたかったんじゃない。
あまりにも深く垂れた頭、風にふわりとなびく緑の髪は、先程、血の目をした男が為したお辞儀にどこまでも似ていた。
国の王たる人物は軽々しく人に頭を下げるべきではないのだと、どうやら彼は教わってこなかったらしい。
あるいはこれも、この国の計算の内なのだろうか。そうした考えを巡らせている自分に嫌気が差し始めていた。
こいつはもう「城で知り合った友達」ではなく「小シマロンの国王」なのだと、言い聞かせることで何とか私は「私」への嫌悪を飲み込んだ。
長い時間をかけて彼は顔を上げた。縋るように私を見つめた。彼の後ろで血の目をした男が頭を下げる。
「いいわ」と了承の音を紡ぐ私の声は低く、冷たかった。
「トウコ!君はもう少し考えてから事を運ぶべきだ」
「いいじゃない。小シマロンの力を借りることもできるし、交流ができれば国も栄えるわ。この国の悪い噂は聞いたことがないし、断る理由がない」
得体の知れない国だけれど、大シマロンよりは余程マシだ。
目を細めてチェレンにそう伝えた。彼は渋い顔をしながらも「……確かにそうだ」と最終的には頷いてくれた。
……確かに全く交流のなかった国と同盟を結ぶというのは、大きな賭けのようなものであったのかもしれない。得体の知れない国の要求を飲む必要などなかったのかもしれない。
けれど小シマロンが大シマロン側について、あの馬鹿げた国が更に力を増すことだけは避けたかった。
それならばこちら側に引き込んでおきたい。私のそうした主張は理に叶っているように思われた。
……けれどこれは建前であった。「魔王」としての判断であった。その裏に隠した本音を、「トウコ」の判断を、しかし私は二度と口にすることはないだろう。
同盟を組み、共に協力することになれば、またこいつと前のように笑い合えるのではないか。下手な変装に笑い合った、あの頃に戻れるのではないか。
……そんな風に思ってしまったのだ。だって私は魔王だとかそんな大層なもの以前に、偶然にも貴方と知り合うことの叶った、貴方の、ただの友人である筈だったのだから。
「キミは知らないかもしれないけれど、ボクはキミをずっと見ていたんだよ」
「え……」
「少し心配していたけれど、やはりキミは強いね。生きていてくれて本当によかった」
けれど彼は、……この男は、初めから私をそんなものとして見ていなかったのかもしれない。
手の温度がすっと下がった気がした。力強く握り返してきた彼の手を、その冷たさを誤魔化すように更に強く握り締めた。
2016.4.14
紫織さん、素敵なアニメのご紹介、並びに企画へのご参加、ありがとうございました!