フラべべはシェリーのことが気に入ったらしい。何処へ行くにも肩の上に乗っている。
肩が凝らないのかと言いそうになって彼は苦笑した。この小さなポケモンの重さは100g程しかないのだ。
「今、この子の花があった場所に連れて行ってくれる約束をしていたんです」
嬉しそうにそう紡いだ少女に、彼は目を丸くして驚いた。まるでポケモンと会話でもしているかのような内容だったからだ。
少なくとも、人間相手にそれだけの言葉を彼女は投げたりしない。
どんな会話をしたのかを彼は知らないが、きっとそれらは人間相手の会話よりももっとぎこちないだろう。
何故なら会話の主導権を少女が握らなければいけないからだ。言葉を伝えられないのは、少女ではなくポケモンの方であるからだ。
しかし「伝えられないもどかしさ」を少女は知っている。だからポケモンの仕草や鳴き声から意味を残さず拾い上げることが出来るのだろう。
彼女にポケモンという存在がいてくれてよかったと、彼は改めて思うのだった。
「ところで、ボクはそのお出掛けに連れて行ってくれないのかい?」
とびっきりの笑顔でそう尋ねると、少女も釣られたように微笑んでくれた。
「はい、一緒に来て下さい」
肩の上のフラべべが面白くなさそうな顔をしたが、彼は気のせいだろうと思うことにして少女の頭を撫でた。
*
それから彼は溜まっていた書類を片付ける作業に入った。
数日前こそ彼女のことが気掛かりで筆も進まなかったが、今日は調子が良いらしく、言葉や発想が次々に湧き出る。
何も不安なことがない訳ではないが、焦らなくてもいいと思えた。
その言葉は以前なら無力な自分への言い訳だったのだが、今は本当にそう思える。
心に嘘をつくという、あり得ないことをしようと足掻く必要がなくなったのだ。それは彼と少女の安定を意味していた。
仕事が片付いたところで顔を上げると、自分以外の人が動く気配がした。
少女とフラべべが自分の書いた紙をじっと見つめていた。
「字が綺麗ですね」
「いやー、照れるなあ」
苦笑しながら頭をかいた彼は、ふと思いついたように紙とペンを少女に渡した。
「君の字が見たいな。ほら、書いてごらん」
私は下手なので、と言い淀む少女にペンを握らせ、微笑んで促した。
どう足掻いてもこの状況は不可避であると察した少女は、困ったように笑いながら紙の上にペン先を落とす。
フラべべがその様子を窺うように、周りをふわふわと飛ぶ。
しかし紙を前にしてぴたりと動かなくなった少女に、彼は恐る恐る声を掛けた。
「どうしたの?」
「……」
その表情が途端に固くなる。少女が何を考えているのかが彼には把握出来ない。
だから少女の文字を待つ他になかった。彼女は徐にペンを動かし始めた。
『私はフラダリカフェへ行きました。』
息を飲んだ。さあっと彼の顔から血の気が引いたが、少女はそれに気付かなかった。
凄まじいスピードで続きを書き始めた。
『フラダリさんと戦いました。ラボを回って、エレベーターのキーを貰って、地下に行きました。
AZさんと出会いました。3000年前の話を聞いて、それからフラダリさんを追いかけました。
科学者さんと話をしました。赤か青のスイッチを押せと言われました。
押した赤のスイッチは、あの花を咲かせました。
私がスイッチを押しました。』
少女はひたすらにあの日のことを綴り続けた。
それは今まで交わしたどんな会話よりも饒舌で、そして強烈に彼の心を抉った。
彼女はペンを止めない。一度止めてしまえば押し寄せてくる感情が、再びペンを動かすことを妨げると知っているからだろうか。
それとも声では饒舌になれないから、ここで一気に告白してしまいたいのだろうか。
『私はセキタイタウンに行きました。
フラダリさんとまた戦って、地下に行って、ゼルネアスと出会いました。
彼はゼルネアスを取り戻そうとしました。私はまた彼と戦いました。彼はメガシンカを使いこなしていました。
彼は花を動かそうとしました。私は怖くなって逃げ出しました。
あの人を助けられなかった。見殺しにした。止められなかった。私は逃げ出した。
私があの人を』
紙の上で動き続けるその腕を強く掴んだ。
その続きの言葉を、どうしても見たくなかった。書かせたくなかったのだ。
「シェリー、解った。もういい、もういいんだよ」
ようやく差し出された真実に彼は愕然とした。それは予想したどんなものよりも残酷で生々しい。
決して上手ではない少女の拙い字は、今までのどんな彼女よりも饒舌だった。
その活字に視線を落とし、少女が今まで苦しんでいたものの重さを思う。
そこには友人であるフラダリの苦しみや足掻き、そしてフレア団が少女に課したものの惨さを見ることが出来た。
しかし目の前の少女に掛けるべき言葉はもう決まっていた。
「話してくれてありがとう」
「……」
「辛かったね」
その途端、驚く程に強い力で縋り付かれた。とうとう少女は声を上げて泣き出した。
焦らなくとも良かったのだ。彼女は立ち直るだけの力を備えていた。自分はただ待つだけで良かったのだ。
そう思いながら彼は少女の背中に手を回し、抱き締める力を一層強くした。
2013.10.30