6

シェリー、君にお願いがあるんだ」

そう切り出したのは、あの日から一週間が経った朝のことだった。
彼は窓の外を見ている少女に話し掛け、その手に2つのモンスターボールを落とした。

「白いフラべべを知っているかい?」

「……いいえ」

「4番道路にいるみたいなんだけど、捕まえて来てくれないかな」

そう柔らかく懇願する。少女が断れる筈がなかった。
狡いことをしている、という自覚はあった。しかしそうせざるを得なかったのだ。
そろそろ、外の世界に目を向け始めて欲しい。それは紛れもない彼の本心だったからだ。
少女は一瞬の逡巡の後に頷いた。

「解りました」

「ありがとう。そっちのボールにはフシギダネが入っているから、捕まえる時に出してあげてよ」

早速外に出て行った少女を見送り、彼は安堵の溜め息をついた。

少女の世界は閉じている。それが彼の出した結論だった。
閉じた狭い世界でぐるぐると周り、自分を責め続けている。世界の狭さが少女を苦しめている。彼にはそんな風に感じられた。
彼女はトレーナーとしては一流だったが、自身の成長に関してはそれを何処かに置き去りにしてしまったのかもしれない。
そんな子供がいない訳ではない。彼女のように、自分に関して苦しんでいる人間はこの世界に多く存在する。
しかし、その彼女が抱えるには、今回の事件は大き過ぎたのだ。

フラべべを捕まえてと頼んだのはただの気紛れだった。
本当は「コーヒーを入れてくれ」でも「この本を読んでごらん」でも、何だって良かったのだ。
要するに、彼女の視点を自分の閉じた世界から外に向けさせる必要があった。今回の頼みはそのきっかけに過ぎない。
あれから一週間になる。少女が落ち着くには十分な時間だと彼は確信していた。
だからこうして彼女に働きかけたのだ。

しかしポケモンを提示したのは、それが願わくは彼女の希望になって欲しいと、彼自身が望みを託していたからだ。

少女はあれから、一度も自分のポケモンを出さない。全てパソコンに預けてしまったという。
共に旅をしたパートナー達を拒絶した少女を、再びポケモンに近付けてあげたかった。これがそのきっかけになればいいと思っていた。
旅を止めますと断言した少女の心を、少しでも動かしたかった。

「カロスは君が思っている以上に、とっても美しいところだよ」

窓から見える空は今日も高く、そこに投げ入れるように彼はぽつりとそんな言葉を零した。

しかし予想外のことが起こった。少女が帰って来ないのだ。
朝方早くに研究所を出た筈なのに、昼を過ぎ、夕方になっても彼女は姿を見せなかった。
白いフラべべなんて、無茶を要求したかな。案外手こずっているのかもしれない。
そう苦笑していた彼も、流石に時計の短針が6を示してからは不安になり、7を示したその瞬間、研究所を飛び出していた。

どうしてあんなことを頼んだんだろう。彼は後悔していた。
知っていた筈だ。彼女がまだ危なっかしいこと、夜中までヒャッコクシティの日時計の前で立ち竦んでいたこと。
どうして簡単に彼女を送り出してしまったのだろう。
やはり彼女にはまだ時間が必要だったのか、それとも自分では彼女を救うことは出来ないのか。
後者の考えを慌てて頭を振ることで追い出し、彼は走った。

しかしゲートを出た瞬間、彼はその少女の姿を捉えることになる。
彼女は彼が案じたどの表情も浮かべておらず、ただどうして彼が此処にいるのかという驚きだけがその目に映っていた。

「どうしたんですか?」

「あ、いや……」

これに言葉を濁したのは彼の方だった。上手く回転しない頭で何とか次の言葉を捻り出す。

「ずっとフラべべを探していたのかい?」

「はい」

「昼食は?」

「……あ」

その単語に驚き辺りを見渡す。どうやら本当にずっと此処にいたらしい。
彼女はフラべべを探していたのだ。昼食を忘れる程に熱心に。日が沈むまで夢中になって。
それで十分だと思った。彼は浮かべた笑顔の後に安堵の溜め息を吐き出した。

「君が、また消えてしまったのかと思ったんだ」

つい紡いでしまったそんな言葉に、しかし少女は首を捻る。

「どうしてですか?」

さも当然のように少女はそう言った。彼は愕然とした。
少女は初めて笑顔を浮かべた。

「私は、消えません」

「……」

「生きていてもいいと、言ってくれました。その言葉を信じているからです。
私の話を聞いてくれて、私のことを待ってくれる貴方を、信じているからです」

少女が差し出したボールの中には、白い花のフラべべが入っていた。
見つけてくれた。少女がポケモンと関わってくれた。
そんな事実だけでも胸が張り裂けそうなのに、新たに見つけたもう一つの事実に彼は言葉を失う。

少女は世界を捨ててはいない。
そして、その為の言葉を差し出せたのは自分なのだと。

自然と手が伸びていた。彼は少女を強く抱き締めていた。それは彼が自分の顔を見られたくなかったからだ。
少女が驚いたのは一瞬で、驚く程優しい手が彼の背に回された。


2013.10.29

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