36

数時間は探し回ることを予想していただけに、そのあまりにも早い出現にアクロマさんは戸惑う。
『……貴方がいなくなってから、わたしを含め、村の男性たちは彼女の言葉に従い、貴方が閉じ込められたという城をずっと探していました。』
『けれど、見つからなかった!あの深い森の中をどこまで進んでも、彼女の言う城が現れることなどなかった!』
村の人たちがいくら探しても見つけることができなかったその城が、たった30分程度、クロバットで空を飛んだだけで現れた。
その事実が信じられないようで、彼はその眼鏡の奥の金色の目に驚愕の色を宿していた。

「きっと、この城自体にも魔法がかけられているんだと思います。誰彼もが出入りできないように、この城ごと、存在を知覚できないようにする魔法が」

「……けれど、貴方の前にこの城が姿を現したということは、貴方はこの城に歓迎されているのですね。あるいは、この城が貴方を自分の住人だと認識しているのか」

その言葉に心臓が大きく跳ねる。
そうなのだろうか。私の前に現れたこの城は、長い間此処で暮らしてきた私を、この城の住人として認めてくれていたのだろうか。
だから、村人たちがいくら探し回っても見つけることができなかったこの場所に、私はあっさりと辿り着くことができたのだろうか。

つい先程、私からこの不思議な城と、この城に住む不思議な道具たちの話をしたばかりだというのに、聡明な彼は早くもこの事実を冷静に分析し始めていた。
彼は肩を竦めて微笑み、大きな扉に手を掛ける。ゆっくりと開いたその扉から1階のホールへと駆け込むと、テーブルマナーと炎を連想させる声が鼓膜を揺らした。

シア……?シアじゃないか!」

その、あまりにも聞き覚えのある声に顔を上げれば、暗いお城のホールに一瞬で明かりが灯った。
階段の手すりを滑り下りてきた燭台のダークさんは、その顔に驚愕と安堵の表情を浮かべて私に駆け寄る。
アクロマさんは驚愕と好奇心とが入り混じった、キラキラと輝く目をして彼を見つめていた。

「ああ、よかった!戻ってきてくれたのか!」

シア?」「シアが戻って来たの?」「シアが帰ってきてくれた!」
そんな言葉があちこちから聞こえ、静まり返っていた城が一気に騒がしくなる。
厨房の食器や調理器具たちが飛び出してくる。2階からはバイオリンやフルートが、更には私の部屋から鏡台までもが出てきて階段を駆け下りる。箒たちもそれに続いた。
アクロマさんは彼等の様子に小さく微笑み、「貴方はこんなにも多くの方に慕われているのですね」と、安心したような優しい声音で紡いだ。

皆よりも少し遅れて階段から降りてきたトウコさんに駆け寄れば、彼女は鏡の角で私の頭をこつんと叩いた。
痛みに涙を滲ませながら顔を上げれば、しかし彼女の方が泣きそうな顔をしていたため、私は抗議の言葉を失ってしまった。

「事情はゲーチスから聞いたわ。だけど、私に挨拶くらいしていってくれてもよかったんじゃない?これでも寂しかったのよ」

「……ごめんなさい。でも、どうしてもシェリーを助けたくて」

そう謝罪すれば、彼女は何もかもを知っているかのように左右の鏡を少しだけ上に浮かせ、呆れたように溜め息を吐いて笑った。

「はいはい、あんたがお人好しなことはもうずっと前から知っているから、今更そのことについて咎めたりはしないわ。私は心が広いからね、許してあげる。
それより、そんなに慌てて戻って来たってことは、何かあったんでしょう?聞かせなさいよ」

「おっとシア、その前にこの男は何者かを聞いておこうか」

その声に振り向けば、燭台のダークさんが、アクロマさんの足元に蝋燭の火を掲げているところだった。
彼は苦笑しながら両手を上に挙げ、抵抗しない旨を示していた。私は慌てて彼に駆け寄り、ダークさんに火を遠ざけてもらうように頼む。
「我々に危害を加える存在ではないんだな?」と確認し、彼はアクロマさんから火を離してくれた。

「俺はゲーチス様に連絡をしてくる」と告げて、踵を返そうとした置時計のダークさんを私は慌てて呼び止めた。今、彼が1階に降りてくるのは危険だ。
私はアクロマさんの隣に立ち、大声で皆に呼び掛ける。

「この人はアクロマさん。村に住んでいる、私の知り合いです。皆に危害を加えたりはしません。寧ろ、それを止めるための手助けをするために来てくれたんです」

「どういうことだ……?」

「ごめんなさい!私が、村の人たちにゲーチスさんの姿を、あの鏡で見せてしまって……。彼のことを恐れた村の人たちが、この城にやって来ているんです。
私は皆よりも先に村を出たけれど、もう直ぐ彼等も此処にやって来ると思います。時間稼ぎを私とアクロマさんでしますから、皆はあの人を連れて逃げてください!」

その言葉に皆はざわめいた。
「どうしよう」「人間がこの城にやって来るのか?」「武器と、ポケモンを携えて?」
私が伝えたその情報に驚き、ホールはざわめきで溢れたけれど、誰も村人たちに彼のことを伝えてしまった私のことを責めなかった。
一度はこの城から黙って出て行ってしまった私を、彼等は再び招き入れ、そして私の言葉を信じ、それでいて私を叱責せずにどうしようと困惑している。
その優しさに涙が出そうになった。何としてでもこの城を、彼等を守らなければと私は誓った。
けれどそんなざわめきの中で、ただ一人、トウコさんだけは声を上げて豪快に笑い始めたのだ。

「ああ、おかしい!シア、私達に逃げろですって?この城を出て、何処へ向かえと言うの?私達の居場所は、今までもこれからも此処だけよ」

「……で、でも、」

「それにね、この城は姿を消すことができるのよ?あんたは招かれた側だから解らないでしょうけれど、私達の城は、そう易々と他人に侵入を許したりしないわ」

その言葉に私ははっと息を飲む。
そうだ、この城は普段は見えないようになっているのだ。いくら彼等が探したところで、この場所が見つかる筈がなかったのだ。
安堵の溜め息を吐こうとしたけれど、彼女はその笑顔のままにとんでもないことを紡ぐ。

「けれどそれは、奴等がこの城の存在を知らない、あるいは信じていない場合の話よ。
あんたがゲーチスの姿を見せてしまったのなら、間違いなく、その村人たちは此処にやって来るでしょうね」

「そ、それじゃあ早く逃げないと、」

「馬鹿を言わないで、私達に逃げる場所なんてないわ。それに、そんな白衣の優男に守ってもらわなくたって、私達は自分で戦える」

戦える?
その言葉に私は首を傾げたけれど、トウコさんは得意気に微笑んでから、鏡台の一番下にある、鍵付きの引き出しを開けた。
中から飛び出してきた大量のそれに、私は自分の目を疑う。

「モンスターボール……?」

そのボールはまるで意志を持っているかのように宙を飛び、城の皆の手元に落ちていった。
彼等はそれを一つずつ受け取り、歓声を上げる。
「ああ、久し振りだ。こいつを出してやれるのは何年振りだろう」「思いっきり暴れていいのよね!それじゃあ、張り切ってやるわよ!」
そんな声があちこちで聞こえてくる。そして彼等が放ったボールから、ポケモンが一斉に飛び出してくる。
信じられないようなその光景に、私は絶句するしかなかった。

どうして城の食器や家具、楽器である彼等が、パートナーのポケモンを連れているのだろう。
私はあまりの驚きからその理由に思い至らないまま、彼等がポケモンを出していく様子を茫然と見ていた。
燭台のダークさんはアギルダーを、外套掛けのダークさんはアブソルを繰り出す。
置時計のダークさんがいつも連れていたジュペッタが、階段の踊り場から飛び降りて彼の元へと駆け寄る。

「あんたの分よ、N!」

最後に残ったボールを、トウコさんは階段の上までやって来ていたNさんに投げ渡した。
グランドピアノの彼が動き、部屋から出てきたことにも驚いたけれど、更にトウコさんとNさんのボールから出てきた、二匹の大きなポケモンに私は言葉を失う。
あまりにも美しい黒と白の体躯、大きな翼、射るような赤と青の目。「レシラムと、ゼクロムですね」と、アクロマさんが隣で説明してくれた。
この二匹はこの地に古くから伝わる神話に登場する、伝説のドラゴンポケモンだ。そんなポケモンを何故、トウコさんとNさんが従えているのだろう。

シアさん、貴方はとても素敵な場所で暮らしていたようだ」

アクロマさんはおどけたように肩を竦めてそう告げる。
「わたしも安心しましたよ」と彼は続けて笑ったけれど、私は笑えなかった。
つい先程、この城に足を踏み入れたばかりの彼が、目の前で展開されるこの出来事を理解している。けれど、私は未だに状況を飲み込めずにいる。
そんな私にトウコさんが、からかうようにクスクスと笑う。

「あんた、まさか私達が、ただ動いて喋るだけの家具だと本気で思っていたの?」

そう思ってしまうのも無理のないことだと思う。だって私は今までずっと、城の仕事をこなし、ひとりでに動いて喋る彼等の姿しか見たことがなかったのだから。
この城にいるポケモンは、置時計のダークさんが連れているジュペッタだけだと思っていた。
それがまさか、城の皆が一匹ずつ、パートナーとなるポケモンを連れているなんて、思いもしなかったのだ。
彼女はホールの奥にある階段を上がり、Nさんの隣に並ぶ。そんな二人の前に、彼等のポケモンがふわりと宙を飛ぶ。
レシラムとゼクロムが並んで羽ばたく姿には、言葉では言い表せない程の荘厳さと偉大さがあった。
彼女は私を見下ろし、得意気に微笑む。

「私達はね、ポケモントレーナーでもあるのよ」


2015.5.21

© 2024 雨袱紗