34

「……貴方がいなくなってから、わたしを含め、村の男性たちは彼女の言葉に従い、貴方が閉じ込められたという城をずっと探していました」

アクロマさんは俯いたまま、私がいなくなってからのことを話してくれた。
その白衣から覗く両手が、震えるように強く握り締められる。そこに、彼の手放しきれていない情を見た気がして、心臓が大きく跳ねた。

「けれど、見つからなかった!あの深い森の中をどこまで進んでも、彼女の言う城が現れることなどなかった!」

見つからなかった?あんなに大きな城が?私はその言葉に訝しんだけれど、直ぐにあの城のかけられた不思議な魔法のことを思い出した。
あの城には、魔法が存在する。食器や楽器、家具がひとりでに動いたり、宙に浮く本が素敵な夢を見せてくれたりするのだ。私はこの目でそれを見てきた。
誰彼もが侵入できないように、城の姿ごと消してしまうような仕組みがあったとしても、今更、私は驚かない。
それに、そんな仕組みがあったのなら、あの時、私が城の方を振り返った時に、その姿を見ることができなかったのにも納得がいく。
あの城は、普段は見えなくなっているのだ。あの城はそんな大がかりな魔法を掛けてまで、外の世界との関わりを絶っていたのだ。
シェリーや私は、その、普段は見えなくなっている筈の城に、偶然にも招かれてしまったのだ。

「彼女の言葉が真実なのか、それとも虚言なのか、わたしには解りません。けれど彼女を原因として、貴方がいなくなってしまった事実は変わらない。
わたしは貴方を失った絶望の矛先を、彼女に向けざるを得なくなってしまったのです」

「アクロマさん……」

「けれど、それはやはり間違っていた。彼女を傷付けることが貴方をどれ程苦しめるかということに、私はあの時、思い至ることができなかった……!」

その優しいテノールの声音が、絞り出すように痛烈に紡がれる。私はこの人に、こんなにも大切に思われていたのだ。
その事実に驚き、くらくらと眩暈がしそうになった。
『それに彼は、私のような子供を好きになんかならないわ。』
いつかシェリーに告げた言葉が脳裏を掠めた。私は彼のことを、何も解っていなかったのだ。
私がいなくなったことに悲しむのは、シェリーだけだと思っていた。そして彼女にも、村の人たちが、フラダリさんがついているから大丈夫だと信じていた。
けれどそれは間違いだった。私は私が思っているよりもずっと、アクロマさんに、シェリーに、大切に思われていたのだ。
そんな大事なことから、私はずっと目を伏せて生きてきたのだ。

彼はシェリーを引きずって来た女性たちに、入院同意書のサインを取り消すことを訴えてくれたけれど、彼女たちはそれを一笑に付した。

「貴方が今更どう言おうと知ったことじゃないわ。この子は気が触れているの。此処にいる皆が証人よ」

そう、アクロマさんが私を大切に思っていてくれたというその真実よりも、更に驚くべきことが目の前にはある。
それはこんなにも大勢の村人が、シェリーを病院に閉じ込めてしまうことに賛同しているという事実だ。
病院に入れられようとしているのは「変わり者」の私ではない。村一番の美少女で、誰からも好かれていた筈の、シェリーなのだ。
その理由にどうしても思い至ることができなくて「……どうして、」と小さく呟くと、シェリーを引きずってきた3人の女性のうちの一人が、笑いながら私に告げる。

「ああ、シアは本ばかり読んでいたから、気付いていなかったのね。私達がこの子のことを、ただ純粋に羨み、賞賛していると本気で思っていたの?」

「え……」

「教えてあげるわ。私達はね、シェリーのことが大嫌いなの。
大した努力もしない癖に、私達がどう足掻いても手に入れられない美貌で男たちを惹きつける、この臆病で卑屈な女の子のことを、この村の女性は皆、嫌っていたのよ」

ガツンと、頭を強く殴られたような衝撃が私に走った。
まさか、村の女性たちがシェリーに向けていたあの目は、私が羨望と賞賛の眼差しだとばかり思っていたそれは、彼女達の嫉妬と憎悪の視線だったというのだろうか。
だから彼女は、いつも何かに怯えるような目をして困ったように笑っていたのだろうか。
彼女達は「村一番の美少女」であるシェリーのことを妬み、このような強制入院を計画したのだろうか。
村の男性にばれないように、綿密に計画をして、彼等が寝静まった夜にこの家に集まって、彼女たちは団結して、シェリーを貶めようとしていたのだろうか。

その全てが信じられなかった。信じたくなかった。この村の人たちが向ける冷たい視線は、私への好奇と非難のそれだけで十分だと思っていたからだ。
けれど私の家の周りに集まった村中の若い女性の冷たい視線が、馬車に引きずられていくシェリーを見て嗤うその声が、その真実を明確に示していた。
私に向けられていたのよりもずっと鋭く、邪悪な視線が、ずっとシェリーには注がれ続けていたのだ。
何もかもを手に入れている筈の幸福な彼女が、いつも何かに怯えるような笑顔を湛えていたのは、これが理由だったのだ。
私はそのことに、ずっと彼女の近くにいながら、気付くことができなかったのだ。
こんなことで、何が親友だ。何が私の大切な友人だ。私は彼女の苦しみを、何一つ理解していなかったのだ。私は、何も、

シア!助けて、シア!」

けれどシェリーは私の名を呼ぶ。その遠ざかるライトグレーの目は、恐怖に涙を流しながら、私を縋るように見上げている。
彼女はこんな私を頼ってくれている。私がそれに応えないわけにはいかない。今度こそ、私は彼女を助けたい。

シェリーはおかしくなんかない!この鏡で証明できるわ!」

私はローブの内ポケットに忍ばせていた手鏡を取り出した。『見たいものを見ることができる』この鏡になら、あの人の姿が映る筈だ。
お願い、現れて。私はそう心の中で叫んでからその鏡を掲げる。瞬間、私の近くにいた女性たちは、大きすぎる悲鳴を上げて後退った。
シェリーを引きずっていた彼女たちも一様に悲鳴を上げたけれど、誰よりも、一度彼に閉じ込められた経験のあるシェリーの悲鳴は凄まじいものがあった。
その反応に胸が押し潰されるような痛みを感じた。

『交流だと?この、獣のような姿で?』
彼がいつかの夕食の席で、自嘲混じりに口にしたその言葉を私は思い出した。傲慢で尊大な態度を取る彼は、けれどその実、とても臆病で繊細だった。
自らの姿が人間を怖がらせるものだと知っていたからこそ、彼はあの城の中にずっと、10年もの間、閉じこもっていたのだ。
けれど私はもう、彼のことを恐ろしいとは思わない。それに、これでシェリーの言葉が虚言ではないと皆が理解してくれる筈だ。
私は女性たちの手から逃げてきたシェリーをさっと背中に隠す。彼女は顔を蝋のように青ざめさせて震えていた。

「何だ、何の騒ぎだ!」と、村の男性たちが家から飛び出し、この森に近い一軒家に集まって来る。
彼女たちは一様に私の手にしていた鏡を指差し「野獣が!」「化け物があの鏡に!」と叫んでいる。
彼等は、村から長い間、姿を消していた私が当然のように家の前に立っていることに驚いたけれど、その私が手にしているものを見て顔色を変えた。

「こいつは驚いた。シア、お前はこの化け物から逃げ出してきたのか?」

シェリーの言っていた野獣は本当にいたんだ!こいつを放っておくと、大変なことになるかもしれないぞ!」

騒ぎ出した村の男性たちに、私は誤解を解こうと口を開こうとした。
彼は人を傷付けることなどしない。彼等を恐怖させるつもりなど毛頭ない。彼は臆病で繊細で、その孤独に耐えかねて私を城へ閉じ込めただけなのだと。
その恐ろしい姿の中には、私達と変わらない、いや、私達よりもずっと純粋な人間の心が宿っているのだと。

シェリー!」

けれどそう説明しようとした私の声は、シェリーの名を呼ぶ一人の男性により遮られた。
橙の髪を持つ長身の彼は、人混みを掻き分けて真っ直ぐにこちらへと向かって来る。その姿には見覚えがあった。シェリーと親しくしていた交際相手、フラダリさんだ。

「一体どうしたんだ、こんなに震えて、」


「殺して!」


その凄まじい金切り声が、人々のざわめきを一瞬にして沈黙させた。
そのソプラノの声音は、彼女のその懇願に従うのが当然なのだと思わせるような、暴力的な美しさと鋭さでその沈黙の中に放たれたのだ。

「そいつは悪魔よ!そいつを殺して!」

シェリー!違うの、彼は……!」

彼女の美しいソプラノの悲鳴に比べれば、私の悲鳴など全く意味をなさないものだったらしい。
現に村の男性たちは私の制止に耳を貸さず、武器となるようなものやポケモンの入ったモンスターボールを取りに、それぞれの家に駆けていってしまった。
女性たちはもう、シェリーを入院させるどころではなくなったようで、恐怖に腰が抜けたようになって地面に座り込んでいる。

私の足は恐怖に震えていた。失うかもしれないと恐怖していたその対象が、シェリーから彼に切り替わってしまったことに愕然としていた。
早く、城に向かわなければ、皆に知らせなければ。早くしないと、皆が、彼が。

彼が、殺されてしまう。


2015.5.21

© 2024 雨袱紗