W 秋ー4

ホウオウに乗ったクリスを見送ったNは、近くの洞窟を抜けてハナダシティに向かった。
大きな橋を渡った先には高台があり、そこでとても美しいポケモンと出会った。
Nはそのポケモンと話をして、思わず笑ってしまった。どうやらこのポケモンもクリスの友達らしい。
彼女が口笛を吹けばいつでも駆けつけるという約束をしていて、カレはボールに縛られることなく、ジョウトやカントーを走り回っているようだ。
ここにも彼女のポケモンへの思いと、ポケモンの彼女への信頼を読み取ることができた。

レシラムに乗って山を越え、西に進んだ先の町を南に進むと、トキワの森という場所に辿り着いた。
大きく成長した木が太陽の光を遮り、薄暗い。ウバメの森を思い出させるような入り組んだ草むらを歩いていると、そこで気ままに暮らしているポケモンと出会うことができた。
そこでNは、服に葉や土を大量につけたシルバーと鉢合わせることになる。

「……どうしたんだい?そんなに汚れて」

「煩いな。ポケギアを落としてしまって、探しているんだ」

「ボクも手伝おう。二人の方が早く見つかるだろうから」

そう言ったNにシルバーは断りを入れようとした。
しかし彼が口を開く前に、Nは彼から少し離れた場所に屈みこんで地面を探し始めた。

「悪いな。後でサイコソーダをやるよ」

「……いや、それは遠慮しておこう。できればあの炭酸飲料ではなく、おいしい水が欲しいな」

シルバーはNの言葉に苦笑しながら、再び地面を探し始めた。
Nはシルバーに倣い、膝を地につけて這うような格好をする。……成る程、これでは服も汚れてしまう訳だ。
彼は納得しながら、頬をくすぐる草や花を掠める地面の匂いに、穏やかな気持ちになっていた。
草を見上げたり地面に手や顔を近付けたりする機会はそうない。ましてや彼はつい最近まで、外に出ることも叶わないままにあの城の中で暮らしていたのだ。
その感覚はとても新鮮で、Nの心を開放的にした。

「ボクはプラズマ団の王だった」

「!」

「幼い頃より、外の世界を知らずに育った。ボクの世界だった狭い部屋には、悪意ある人に虐げられ、傷付けられたポケモン達が訪れた。
ボクはカレ等の声を聞きながら、カレ等にとっての理想の世界について考えるようになった。
ポケモンがこれ以上傷付かないように、ヒトと切り離すことを真実の世界だと信じて疑わなかった。そうしてやっと、ポケモンは完全な存在になれるのだと」

どうして彼にこんな話をしているのだろう。N自身にもよく分からなかった。
『お前がどういう経緯でジョウトに来たのかは知らないが、折角こうやって知り合ったんだ。お前が困った時には話くらい、聞いてやる。できることなら手を貸すさ。』
以前、シルバーは彼にそう言ってくれた。彼自身の、きっとあまり知られたくなかったであろう過去を自分に話してくれた。
その上で、Nの話を聞いてやると紡いだ。Nは無意識に彼に期待していたのかもしれない。
世間知らずな自分の過去を、きっと似た境遇を持つシルバーは蔑まない。そんな期待があったのだろう。

「けれど、外の世界ではそんな、傷付けられたポケモンの声を聞くことは殆どなかった。
沢山のトレーナーがポケモンと心を通わせ、信じ合っていた。それでもボクは、ボクの信じてきた理想を信じて戦い続け、……その結果、一人のポケモントレーナーに敗れた」

『あんたはさっき「どちらの思いが強いか、それで決まる」って言っていたけれど、それならもう、あんたの負けは確定していることになるわよ。』
『だって、あんたもポケモンが大好きなんでしょう?』
Nは「彼女」の言葉を思い出していた。
彼女は自分を嫌いだと繰り返し、自分の持つ力を狡いと僻みながらも、自分を特別視することなく、彼女とNとをいつだって「同じでしょう?何も変わらないわ」と称していた。

誰よりもポケモンに愛され、ポケモンを愛していた彼女。誰よりもNが執着し、誰よりもNを嫌い、誰よりも真剣にNと向き合った彼女。
『私は私の為に戦うけれど、そのついでにNのことだって救ってみせるわ。』
自分を嫌いな筈の彼女がそう言った本当の意味を、彼はまだ理解できずにいたのだけれど。

「何が正しいのか、真実は何処にあったのか、そもそもボクは何を信じていたのか、本当はどうしたかったのか、その全てが解らなくなった。
そして、その答えを探すには、イッシュという土地はあまりにもボクの不安や葛藤を煽り過ぎていた。
だからボクはもう一度、今度はプラズマ団の王としてではなく、一人のポケモントレーナーとして旅に出た。……そして、ワカバタウンに辿り着いた」

「……」

「キミがボクの話を聞いてくれるというから、つい喋り過ぎてしまったね。すまない」

ポケギアを探して忙しなく動いていた筈のシルバーの手は、今や完全に止まっていた。
Nは自分のことを話し終えて、そして自分の心が、話す前よりも少しだけ軽くなっていることに気付く。
『話くらいは聞いてやる』というシルバーの言葉に、彼はそれまで意味を見出せていなかったのだ。
誰かに話をしたとして、解決できないのならそこに意義は生じないと思っていた。議論は答えを導き出すためにあるものだと、これまでずっと信じてきた。……けれど。

「どうして話をしただけなのに、気持ちが軽くなるんだろうね」

思わずそう呟くと、シルバーは少し考えて、彼なりの答えを返してくれた。

「きっと、悩みを共有したからじゃないか?」

「共有?」

「一人で思い悩んでいた時に比べて、それを誰かに打ち明けた時には、悩みの質量がきっと半分になっているんだ。
お前は話すことで俺にその重みを分けた。だから心が軽くなったんじゃないか?」

共有。
それはNにとって新鮮な響きを持っていた。その言葉を噛みしめた彼は、しかしまだ腑に落ちないことがあって首を捻る。
どうした、と苦笑する彼に、Nはクリスのことを話した。

クリスは、嬉しいことを彼女のトモダチに話すと言っていた。話すと、嬉しさの質量も半減してしまうんじゃないのかい?」

「どうしてそうなるんだよ。寧ろその逆だろう。話せば、喜びはきっと倍になるんだ」

その、質量を完全に無視した彼の理論にNは驚く。
苦しい悩みは話すことで半減されるにもかかわらず、喜びは誰かに伝えることでその質量を増やすという。
しかも、Nはシルバーに話すことで、その悩みを彼にも分け与えてしまった筈なのに、彼は深く苦しむ様子を見せない。
……Nにとって不可解なことばかりだった。人の心はそうした、物理的な質量保存を完全に超越した次元にあることを、彼は知り始めていた。
数字で解明できない世界が人の心を創っているという発見は、彼をただ驚かせた。

「ボクの悩みの質量をキミは受け取ったのに、苦しそうではないんだね」

「……まあ、お前が話してくれたことが嬉しいからな。友達の話を聞いて一緒に悩むのも、そう嫌なことじゃないさ」

「友達って、誰のことだい?」

するとシルバーは何故か黙ってしまった。
不自然な沈黙を疑問に思ったNが膝を地面に着けたまま彼に近付くと、彼はいきなり立ち上がり、大声をあげる。

「お前のことに決まっているだろう!」

今度はNが沈黙する番だった。トモダチ、と、やっとのことで彼の音を反芻して、そしてやはり沈黙しなければいけなかった。
シルバーは自分のことを友達だと言った。Nにとって、その言葉が人に使われることはどうしようもなく新鮮に感じた。そして、何故かその言葉はNに喜びを与えた。

人のトモダチを持ったのは生まれて始めてだ。
そう零して笑ったNに、しかしシルバーは「大袈裟だな」と言うことはしない。彼はもうNの過去を知っているからだ。そして、それはシルバーにとっても同じことだったからだ。
シルバーにとっても、彼のような友達を持つことは生まれて初めてのことだったのだ。
Nがこの一歩を踏み出すために、どれ程の勇気を要したか。それをNが知ることはきっとないのだろう。

話すことで苦しみは半分になり、喜びは倍になる。
そうシルバーに教えたのはコトネであり、コトネにそんな魔法の理論を伝えたのは他でもない、Nがポケモンとの人間との在り方の真実を見出した相手、クリスだった。
しかしそんなことを、Nが知る筈もなかったのだ。

余談だが、無くしたと思っていたポケギアはその後、Nが彼の電話番号にコールすることにより、近くの草むらで鳴る着信音を頼りに見つけ出すことができた。


2014.11.9

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