W 秋ー3

クリスはその後、たましいの家を出て、ポケモンセンターに向かった。Nもポケモンの回復をしてもらい、それまでの間、二人で話をすることにした。
旅をしていたという彼女の発言から、彼女もポケモントレーナーであると容易に想像がついたが、彼女が預けたモンスターボールは一つだけだった。

会話の中でNが、クリスについて知ったこと。
年はNと同じ17歳。10歳の頃にジョウト地方とカントー地方を旅して、16個のジムバッジを集め、ポケモンリーグのチャンピオンになった人物。
しかし直ぐにその座を辞退し、ワカバタウンに戻ったという。ワカバタウンの海辺で遊んでいたポケモン達は、彼女が旅の途中で知り合った仲間だと説明してくれた。
今はトレーナーを引退し、新米弁護士として働いている。唯一手持ちに連れ歩いているのは、旅に出た時からのパートナーであるメガニウムだ。
趣味は読書で、図鑑を眺めるのも好きらしく、あの大量の花言葉の知識はその趣味で得たものだという。

「ポケモンと出会えたことも大事ですが、私は旅を通じて出会った人との関わりも大切にしたいんです。
戦ってくれたジムリーダーの人や、さっきのたましいの家を管理しているフジさんのような素敵な知り合いができた。それは、旅が私にくれた贈り物なんです」

「……」

「Nさんも、そんな出会いを経験しませんでしたか?」

Nは少し考えて「きっと、キミやコトネやシルバーのような人間がそれに相当するのだと思う」と返す。
彼女は両手をぽん、と合わせて「あら、嬉しい」と歌うように紡ぎ、微笑んだ。

「ところでNさん、ロケット団を知っていますか?」

突然変わった話題と、突如として出てきた新しい単語にNは戸惑い、「いや、知らない」と答えた。
そっか、と何処か安心したような、それでいて何処か悲しそうな笑みを浮かべた彼女は、黒いハイヒールを投げ出すように足を揺らして言葉を続ける。

「ロケット団は、3年前はカントー地方で、そして最近ではジョウト地方で悪事を働いていた組織です。
有名な事件は、ここ、シオンタウンで起きたポケモン虐殺ですね。……あのカラカラも、お母さんをロケット団に殺されました」

「そんな酷いことをする組織が……。でも、ボクはジョウトでロケット団らしき団体が悪事を働く姿を見ていないけれど」

「ああ、ロケット団は既に解散しています。幹部の人達は既に出頭していて、私はその一人の弁護を担当しました」

弁護、という言葉にNが首を捻ると、クリスは「一般の方はあまりお世話になる機会がないから、知られていないのかもしれませんね」と前置きして肩を竦めた。
どうやらその「弁護」というのは、彼女の職業である弁護士と何らかの関係があるらしい。
どう説明したらいいかな、とクリスは悩み、言葉を選びながらぎこちなく説明を続ける。

「弁護士は、例えば悪いことをした人に、その人に相応しい罰と償い方をお渡しする仕事です。
裁判では、法律に相当する真実よりも重い刑罰が求刑されることがありますから、私達はそれを妥当だと思われるところまで引き下げているんです」

「じゃあキミは、悪いことをした人の味方をしているのかい?」

「ふふ、びっくりしましたか?」

朗らかにそう微笑む彼女に自身の狼狽を言い当てられ、Nは困惑する。
何故そんな仕事を?と、Nの顔に書いてあったのだろう。クリスは直ぐに口を開いた。

「だって正義は暴走するでしょう?」

「!」

「悪いことをした人だって、本当に悪いことが好きでした訳じゃないと思うんです。
罪の意識がありながら、それでも生きる為に、自分の矜持や居場所を守るために必死だった人達ばかりです。私はそんな人達が、また普通に生きられるようにしたいんです。
それに、悪いことが大好きで、悪いことを悪いことだと思えていない、悪いことをしたという自覚のない人間を、法律は……裁くことができませんから」

その言葉は、とても優しい音で、しかし残酷な響きをもってしてNの心を抉った。
彼女が自分のことを知っている筈がない。それでもその言葉は、かつてプラズマ団の王としてポケモンの解放をうたい続けた自身への柔らかな叱責に聞こえたのだ。
ポケモンを傷付けたトレーナーを憎み、彼等からポケモンを切り離すことが正義だと、それが正しい在り方だと、あの頃は信じて疑わなかった。
『正義は暴走するでしょう?』その言葉の重みを、彼は誰よりも理解していたのだ。

「キミの考えは、とてもいいと思う」

彼女はその青い目を見開き、Nをじっと見つめた。
ポケモンと人とを切り離し、白黒はっきり分ける。それを世界の真実だとしていた彼、そしてプラズマ団の思想はきっと「暴走」していたのだ。
クリスは正義を否定しない。しかしその正義が暴走する危険性を知っている。
異なる思想を持つ他者を排斥し、無力な群衆を支配し、統べようとする。正義にはそうした性質があるのだ。
そして正義を振りかざす側は、その正義が確固たるものではないことを忘れてしまう。忘れ、酔いしれ、倫理を放棄する。
クリスはそのことを早くから気付いていたのだ。

彼女は暫くNを見上げていたが、やがてとても嬉しそうに微笑む。

「ありがとうございます」

何故お礼を言われているのかが理解できないまま、しかし問いただすことはせずにNも笑った。
この世界は複雑で、しかしそれ故に、美しい。

預けていたポケモン達を受け取り、二人はポケモンセンターを出た。
クリスは「ここでお別れしましょうか」と少しだけ悲しそうに笑う。この後に仕事が控えているのかとも思ったが、どうやら今日の分はもう終わった後だったらしい。
「お友達に会いたくなったので」と彼女は言い、スーツのポケットから小さな鈴を取り出した。

「ここじゃ少し目立つので、町の外れに行きましょうか」

彼女は鼻歌を歌いながら道を歩く。通り過ぎる人が彼女を愉快なものを見るような目で一瞥していくが、やはり彼女は気に留めていない、というより気付いていなかった。
町の北側には、大きな山と、洞窟の入り口があった。あの洞窟を抜けるとハナダシティという町に着くのだと彼女は説明し、先程の鈴をリン、リン、と2回鳴らした。
その小ささに反して、鈴の音はとてもよく響いた。穏やかで、しかし空気を切り裂くような洗練された音だ。
やがてその音の余韻が完全に消え去った頃に、山の向こうから巨大な鳥ポケモンが姿を現す。
あまりにも鮮やかなその翼に、Nは言葉を失って立ち尽くした。

「ふふ、綺麗でしょう?この子は普段、ジョウト地方のスズの塔近辺に住んでいますが、この鈴の音を聞くと、直ぐに飛んできてくれるんです」

「……まさか、ホウオウとはこのポケモンのことかい?」

「あら、知っていたんですね」

その大きな翼は、クリスを軽々と掬い上げる。滑り台のように翼を滑り降りた、奔放でマイペースな彼女を、Nは見誤っていたのかもしれない。
トレーナーは引退したんです、と語った彼女が、今でも伝説のポケモンを従えているその意味を、Nは理解できなかった。
彼がレシラムとトモダチになろうとしたのは、自分に世界を変える英雄としての素質があるか確かめるためだった。
神話のポケモンに認められることが、当時のNには必要だったのだ。

しかし今のクリスに、そうした目的は何もない筈だ。
弁護士はポケモンバトルを要する仕事ではないし、何より彼女はこのポケモンを、自分のモンスターボールに入れている訳ではないらしい。
キミは何故ホウオウを呼んだんだ。そう尋ねたNに、しかし彼女は首を傾げる。

「お友達に会いたいと思うために、理由が必要なんですか?」

「……」

「私の考えが貴方に受け入れられたこと、とても嬉しかったんです。
だから、私のお友達に自慢したくて、ホウオウを呼びました。空を飛びながら、この子とお話をしたくなったんです」

……やっぱり私、ちょっとおかしいですよね。
つい先程と同じように尋ねたクリスに、今度もNは首を振って否定の意を示すべきだったのかもしれない。しかし彼は笑い、頷いた。

「そうだね。とても変わっていると思うよ」

「ふふ、でもいいんです。だってもう私は、独りじゃりませんから」

歌うようにそう紡いだ少女に、Nは自分が追い求めた、ポケモンと人との在り方における究極の形を見た気がした。


2014.11.8

© 2024 雨袱紗