天使降ろし

※本編未完結のため、今後の更新部分との矛盾が将来生じる可能性があります。

 特定の人物……もう既にこの世にいない人物を、写真やビデオ、日記やインタビュー記事など、さまざまな媒体から寄せ集めた情報で「再現」する技術は、人口が緩やかに減少し、寂れるばかりと思われたこのカロス地方を一気に賑やかなものにした。
 じっくり見なければ分からない程の精密なホログラムは、100年前の人間でも500年前の人間でも褪せることなくそこに作り出す。
 かつての偉人から直接意見を聞くため、自身の祖先とお喋りをするため、不幸にも命短くして亡くなった子どもやパートナーに会うため。死者に会う動機など枚挙に暇がない。その技術は瞬く間に発展し、カロス中で引っ張りだこのツールになった。

「ねえ、落としたわよ」
「え、ああ……すみません、ありがとうございます」

 背の低い女性がそう告げて、彼女の足元にある写真を指差す。彼女が拾ってこちらに渡してくれた方が手っ取り早いのに、そうしないのは彼女もまた、その写真を拾えない人間、すなわちホログラムだからだ。ホログラムは高度なAIにより、まるで自我を持ったかのように動く。ぱっと見、本物の人と大差ないから、こうして近くに寄って、挙動の違和感を見つけなければ、相手が虚像であることを見抜けない。
 矢のような鋭い目が、墨のように黒いボブヘアーのカーテンからチラリと覗いている。背の低い彼女は俺の感謝の言葉を受けて、小さく笑ってから歩幅を大きくして俺を追い抜いていった。彼女もまた、誰かに望まれて再現された存在なのだろう。

 ただ、こうした技術を信用していない人もいる。情報から組み立てられた人物はその人そのものではない。そこに魂はないから、ガワだけ真似たところでお人形遊びに過ぎないのだと。
 けれどもそうしてホログラムを非難する人だって、故人に会うことを諦められているわけではないのだ。だからこそ、俺たちのような仕事の需要は今でも絶えない。ガワではなく魂に会える一縷の望みをもって、彼等は森の奥にひっそりと建つ館……魂を降ろせる一族である俺たちの住まいを訪れるのだ。

「おいおい失くすなよ? 今日の仕事に絶対必要なデータなんだから」
「ああ……悪い」

 隣を歩く兄に咎められ、苦笑しつつ頷いてから、手元の写真を再度見遣る。

「ドクター……プラターヌ」

 今日、俺がこの体に呼ぶことになる魂の名前だ。どうやら600年前の人物らしい。どうしてそんなにも昔の人物を、と首を捻ったが、兄は困ったように笑うばかりで教えてくれなかった。
 渡された写真に写るのは、白衣をお洒落に着こなした優男。ミアレシティのポケモン研究所で博士を務めていたこともあるそうだ。偉人といえば偉人だが、彼の魂を欲しがる理由が分からずに首を捻る。彼の研究情報などを知りたいのなら、それこそホログラムの方がずっと有益だろうに。

「つまり、ポケモン博士に会いたいのではなく、ただのプラターヌに会いたいということなのだろうね」
「なるほど?」

 魂を「降ろす」役割は当番制。特殊な力を持つ我が一族、性別も体格も異なる11名から、最も近い人物が呼ばれる。今日は成人男性の魂を呼ぶ必要があるとのことで、体つきが近いらしい俺が担当することになった。さらに手足が細くスタイルがいい兄の方がより「らしい」のではとも思ったが、どうやら声の質が俺の方が近いらしい。
 ちなみに顔の美醜は問われない。どうせ「降ろす」ときは顔なんか布で隠してしまうしな。

「それじゃあ、君は先に館へ戻って準備をしておいてくれ。依頼人は夕方の5時に来るそうだ」
「ああ、分かったよ」
「くれぐれも失礼のないようにね」
「今日来るのってそんなに偉いヤツなのか?」

 兄は振り返りざまにニヤッと笑う。依頼人に会えるのが楽しみで仕方ないといった感じだ。
 いいなあ、俺もその偉いヤツとやらに正気の状態で会ってみたい。



 午後5時1分。フード付きのローブを被り直していると、館のドアが開くギィという音が聞こえてきた。どうやら依頼人がやってきたらしい。

 魂を「降ろす」ためには、当人の姿が分かるものと、当人をよく知るものが当人を呼ぶ声が必要だ。この部屋を依頼人が開け、俺をプラターヌの名で呼んだその瞬間、俺の自我は封印され、俺はプラターヌになる。上手くいけば、の話ではあるが。
 AI技術もポケモンの力も使わない、正真正銘、俺たち一族にしか使えない最強の超能力だ。物心ついたときから、もう何百回とこうして誰かの魂をこの身に降ろしてきた。今回も同じようにやればいいだけだ。何も問題ない。俺たちは上手くやれている。今回だって、きっとできる。

 しかし妙な話だ。プラターヌは600年前の人物。プラターヌをよく知る人物などとうに全員他界していて、この世界にはいないはずなのに。その依頼人というのはプラターヌの遠い子孫なのだろうか。プラターヌは600年先まで一族の間で語り継がれるほどの偉人だった? いや、それならホログラムを作る企業が放っておかないはず。

 そんなことを考えていると、靴音が聞こえてくる。案内人の兄と、依頼人と……あれ?

「三人……いる?」

 カチャリ、とドアが開き、廊下の窓から差し込む光が、カーテンを閉め切ったこの薄暗い部屋を切り裂くように差し込んできた。
 靴音は兄を含めて三人分あったはずなのに、部屋に入ってきたのは一人だけだった。パンプスの音がするからきっと女性だろう。どうぞお名前を、と兄が促し、すぐに扉が閉まる。もう一人は部屋の外で待つのだろうか。途中乱入は勘弁してほしいのだけど。
 女性は少し緊張したような、戸惑ったような様子で立ち尽くしている。俺は椅子から立ち上がり、部屋の奥へ誘導するように両手を広げて、顔を上げる。

「!」

 カロスでは名前を知らぬ者などいない、悠久の命を持つ天使がこちらを見ていた。

「プラターヌ博士」

 ああそういえばこの人ってフラダリと同じく600歳を超えているんだったよな、とか、外に出てきているなんて珍しいな、とか、つまり廊下で待機しているのはフラダリってことか、とか。そうした気付きも思考もすべて、天使の呼び声により奥の奥へと追い遣られ、圧し潰され……表面に残ったのは600年前の人物、プラターヌの魂のみ。

シェリー!」
「っ、あ……」

 俺の声が少しだけ変わる。男の俺からしても、ハスキーで色っぽい声だと思う。そんな声が呼んだ「シェリー」というのは、まさかこの天使の名前だろうか。
 名乗らないことで有名なこの天使の核、聞かれても適当な偽名ばかり応えてのらりくらりと交わしてきたという天使の本名、彼女にとっての最高機密であるはずのそれは、600年前の魂により呆気なく開かれてしまった。

「やっと会えたね! ウン本当に久しぶりだ。よく顔を見せて?」

 プラターヌは駆け足で天使に近付く。人懐っこさと、無邪気な心地、天使の目の前にやってきてもなお、自分からは触れようとしない臆病さ。俺自身では持ち得ないそれらの基質に身を任せるのはひどくくすぐったい心地がした。
 天使はプラターヌの声に応えるようにしてゆっくりと顔を上げる。長い髪が揺れる様も、吸い込まれるような瞳の瞬きも、薄く開かれた少し幼さの残る口元も、すべてがあまりに美しすぎて、喉からプラターヌではなく俺の音が出てきそうになる。
 プラターヌを降ろしている最中とはいえ、この人を……巷では天使などと呼ばれて崇められているかの人を、こんなところで独り占めしていいのか? 本当に? これ、ものすごいことなのでは?
 そもそも天使を目撃できるだけでもレアすぎる。だってこの人が起きていることなんて、それこそ日食とか月食とかくらい珍しいことなのに。今日眠ってしまえば、次に彼女の目蓋が開かれるのは、3年後か、4年後か、あるいはもっと先か。
 そんな奇跡みたいな一瞬を、俺……いや、プラターヌが独り占めしている。つまりはそういう相手なのだ。天使……シェリーにとって、プラターヌというのは。

「ちょっとお姉さんになったね。もっとずっと綺麗になった」
「ありがとう……ございます」
「あれっ、受け取ってくれるの? 嬉しいなぁ……!」

 目頭が熱くなる。声が震える。俺ではない、降りてきてくれたプラターヌがそうしているのだ。この天使の……シェリーと呼ばれた女性の「ありがとうございます」に感極まって、泣きそうになっているのだ。

「いつも、そんなことありませんって否定ばかりしていたのにね」
「そ……う、でしたよね」
「うん、いつからキミはボクの言葉を喜んでくれるようになったんだろう。もっと早く会いたかったなあ。キミの心がほどけていくのをもっと近くで見ていたかったよ」
「ごめんなさい……」
「あはは、謝る癖は相変わらずだね。責めているんじゃない、嬉しいんだよ」
「違う、違うんです博士」

 天使の目にも涙が浮かぶ。ふるふると薄暗い部屋の中で首を横に振れば、大粒のそれがひとつ、ふたつと顎の先から落ちていく。天使の涙は宝石になるとかいうのはファンタジーの界隈でよく言われることだが、彼女の涙はそのまま液体として、この部屋のカーペットに染み込んでいった。
 なんだ、アンタってただの人間だったんだな。

「わた、し、きっと時間が戻っても、博士には会えないままだった! みんなに会いたいと思えるようになったのは、みんながいなくなってからもっとずっと、あとの、ことで……!」
「うん、うん、教えてくれてありがとう」
「もうこんな風にお話なんて、できないだろう、って……。こんなに長く、待たせて、本当に……」
「いいんだよ、謝らないで? キミには長い……とても長い時間が必要だったんだよね」

 彼女のか細い嗚咽に心臓がきゅっと絞られる感じがする。これは俺の感覚ではなくプラターヌの感覚だろう。申し訳なさとか悔しさとか、愛しく思う気持ちとか、寂しさとか。プラターヌを由来とするあらゆる感情が俺の体を軋ませていく。
 化け物だ、と俺は思った。いやそれはもう分かり切ったことだった。600年も前の人物が、たった一人のこの呼び掛けにすぐ降りてきた時点で、この男が常軌を逸していることは明白だった。

「またこうして話ができて嬉しいよ、シェリー。ボクを呼んでくれて本当にありがとう」

 当たり前のことではあるが、魂は、現世への未練がなければ降りてこない。いくら遺された人が強く、強く呼んだとて、その呼びかけに応える意思が魂にないのなら、意味がない。
 ゆえに本気で魂を降ろしたいのなら、挑戦は早ければ早いほどいい……と、されている。
 時の流れは残酷だ。想いは薄れる。復讐心や嫉妬心だって削がれていく。未練と呼ばれるものが100年以上続くことなんてほとんどない。だってその未練を抱く相手なんか、100年も経たずにみんないなくなるんだから。恋慕であれ、憎悪であれ、その対象がいなくなれば、勢いを失ってしまうのが人間の性なのだから。

 俺たちの特殊な力をもってしても、100年以上前の魂を降ろせる確率はそこまで高くない。それこそ対人ではなく、研究だとか、外交だとか、町の発展だとか……そういう時の流れに押し流されにくい未練を抱えた存在でなければまず成功しない。
 けれども、プラターヌはすぐに彼女のもとへ現れた。ずっと彼女の傍にいなければ成しえないことだ。ずっと……600年以上、ずっと。それでいて彼女を抱きしめるでもキスするでもなく、ただ撫でるような声音で彼女の謝罪を受け止め続けていて。
 まるで、アンタの方が天使みたいで。

 ああ……ああ! 吐き気がする!
 こんなにも深い愛情、たかだか20年も生きていない俺の体には到底抱えきれない。



「ありがとうございました」

 すっかり表情をいつもの様子に戻して、天使は美しく笑った。プラターヌの気配が消えてしまった俺は、彼女の夢を壊さぬように沈黙するのみ。
 彼女もそのルールを守り、俺にそれ以上の声掛けをすることなく、扉を開けて部屋を出ていく。しかし、入れ違いに廊下で待機していた男が入ってきた。こちらもカロスで名を知らぬものはいないだろう。

「フラダリ様もプラターヌを御所望ですか?」

 同じく廊下で待機していた兄が尋ねる。連続での呼び出しは流石にキツいぞ、と思ってヒヤリとしたのだが、予想に反して男は「いいえ」と首を振った。

「きっと彼はわたしの呼びかけには答えないでしょう。600年前のわたしたちの会話には、一切の不足がなかったから」

 なるほど、それではただお礼のためにこの部屋に入ってきてくれたのかと、噂には聞いていたこの人の誠実さに俺は感心してしまう。同時に、ああ、この人はプラターヌと未練の残らない終わり方ができたのだなと思って、少しばかり嬉しくなってしまった。
 でも……と、言葉を発することの許されていない俺は、先ほどまでのプラターヌの残滓を喉の辺りでコロコロと転がしつつ、口角を上げる。

 この人、かなり寂しがり屋みたいだし、きっとアンタの呼びかけにもほいほい出てきてくれると思うけどなあ。

2025.5.11
(620年後くらい)
誕生日おめでとう!

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