10:The secret of that girl

彼女の告白は、わたくしを含め、その場にいた全ての人間を驚愕させる程の威力を持っていました。
それに加えて、彼女がそのことについて沈黙を貫いていたことに対して、誰も彼女を責める素振りを見せなかったことに、わたくしは静かに驚いていました。
この少女がどういった人間であるのか、おそらく、此処にいた人間は全て知っていたのでしょう。
彼女なら、そうする筈だと解っていたから、わたくしを含め、誰も彼女を責めることができなかったのでしょう。

◇◇◇

次の日の夕方、シアの病室には3人の人間が集まっていた。
私とアクロマさんがこの空間に転がり込んでいるのはいつものことだったけれど、今回はアクロマさんの要求通り、私の最も信頼できる人物、すなわちNを呼んでいた。
Nはシアと他愛もない世間話を暫く交わした後で、私やアクロマさんが切り出すことを渋っていた話題を、何の躊躇いもなくさらりと切り出した。

「キミの病気について話をしたい」

「私の病気、ですか?」

「単刀直入に問おう。キミは本当に今回のことを、医師の言う通り「心因性」のものだと思っているのかい?」

僅かに強張ったその表情はあまりにも饒舌に彼女の心を物語っていた。
心因性という言葉を疑っていたのはアクロマさんだけではなかったのだと、私は長い時間を経てようやく知るに至ったのだ。

「キミのお母さんを不安にさせたくないとトウコが言ったから、カノジョには席を外してもらっているけれど、今、この場にいる三人は全て、キミの状態に疑問を持っている。
ゆっくり休めば治ると医師は言ったそうだけれど、寧ろキミの症状は悪化している。キミはこの白い空間で自分の心を追い詰め続けられる程に器用な人間だったのかい?」

言い過ぎだ、と私は思ったけれど、彼が私やアクロマさんのために憎まれ役を買って出てくれていることは明白だったから、私は口を挟むことなく静かに彼の言葉を聞いていた。

……本当はもっと、ずっと前に切り出すべきだったのだろう。この状態はどう考えてもおかしいと、話題に上らせるべきだったのだろう。
それができなかったのは、私が医師の「心因性」という言葉を信じすぎていたからだ。
シアが楽しそうに振舞いながらも心の中では自身を追い詰めていたのだと、私は疑いもしなかった。
それなりに強い子だと思っていただけに、その「強さ」が彼女の虚勢であり虚像だった可能性がある、という医師の宣告は、私を酷く臆病にした。
どんな風に彼女に接するべきかを、私は計り兼ねていた。

強すぎる想いは、きっと人を盲目にするのだと思う。
大切だという想いが過ぎれば、それは私達の足枷となる。自由な想いが私達を不自由にする。
傷付けたくないと思うがあまり、私はこの後輩に対して臆病になり過ぎていた。そして、それはきっとアクロマさんも同じだったのだろう。

けれどNは、私やアクロマさんよりも少しだけ、シアから遠く離れた位置にいる。だから遠慮しない。彼女を当惑させ、傷付けることに躊躇いを見せない。
そんな彼の言葉は、私やアクロマさんからすれば少々尖り過ぎたものに聞こえたけれど、きっと本当は、もっと早くにこうすべきだったのだろう。
Nもそれを解っているから、敢えてそうした、尖った言葉を紡いだのだろう。私達では紡ぐことのできない言葉を、選んでくれているのだろう。

ぽとり、ぽとりと点滴の栄養補液が落ちていく様子を、私はただぼんやりと見ていた。
困ったように笑いながら一向に答える様子を見せないシアに、しかし今度はアクロマさんが口を開いた。

「わたくしは、貴方に降りかかったその病気は、第三者の力によるものではないかと考えています」

「……そんな非現実的なことを起こす力なんて、ないと思いますよ」

「ええ、わたくしもそう思っていました。けれどシアさん、貴方の非現実的な症状は現実に起こっています。
非現実的な事柄に対して、現実的なアプローチができないのであれば、その事柄と同じ次元に足を下ろさなければ解決策は見出せない。そうは思いませんか?」

科学者らしい言い回しに私は頭が痛くなりかけたけれど、そうした彼を慕う彼女は今の発言を即座に理解したらしい。
困ったように笑いながら「そうかもしれませんね」と相槌を打ち、彼の言葉を否定することはしなかった。

シア、キミにはもう既に心当たりがあるのではないのかい?キミが今まで口を閉ざしてきたのは、特定の誰か、を庇うためではなかったのかい?」

再び口を開いたNに、シアは悲しそうに眉を下げてから首を振った。

「分かりません。そうした「犯人探し」をしたくなかったから、考えないようにしていました。できれば皆にも、犯人探しなんてしてほしくなかった」

ああ、だから黙っていたのだと、私はようやく、シアが今まで貫いてきた沈黙の理由に合点がいった。
シアを憎む誰かの仕業であるという仮説の下に、私達が動き始めること自体を彼女は恐れていたのだ。私の代わりにそんなことをしてほしくないと、暗に訴えていたのだ。
けれど、シア。私はその訴えを聞き入れることができそうにない。
私にとって、シアをこんな状態にした「誰か」よりも、シアの方がずっと大切であったからだ。それは当然の、天秤にかけるまでもない優先順位だった。

「……よく、解ったわ。
あんたが何を考えて口を閉ざしていたのかも、あんたは自分の回復よりも、私達の手を汚さないようにすることを優先させるような、破滅的な献身が得意な子だっていうこともね」

ようやく切り出すことの叶った、私らしい皮肉めいた言葉に、シアはクスクスと肩を震わせて笑った。

「だってトウコ先輩も2年前、Nさんを止めようとしたんでしょう?先輩自身の旅の平穏よりも、皆とポケモンの世界を守るために戦ったんでしょう?」

声を発することすら忘れて沈黙した私に、シアは「私はトウコ先輩の後輩だから、少し、似ているのかもしれませんね」と続けた。
彼女の名誉のために言っておくと、私とシアの中身は全くと言っていい程に似ていない。
私は彼女のように、何もかもを思える人ではない。2年前のあの戦いだって、私とNのためにしたことだった。他の人のことなどどうだってよかった。
けれど第三者はきっと、私とシアを同じように見るのだろう。
イッシュを救った英雄という言葉は、シアがプラズマ団を解散に追い込んだあの日から、私だけを指す単語ではなくなっていた。
私もシアも、イッシュから見れば同じような存在なのだろうということを、私もシアも心得ていた。だからこそシアは、私と自分は似ているとして笑ったのだろう。

そうだ、この子は私に似た強い子だったのだ。だから、自身を追い詰めすぎて精神的に参ってしまうなどということが、起きる筈がなかったのだろう。
そんな簡単なことに思い至れない程に、私はシアの近くに在り過ぎていた。盲目となっていたのはシアだけではなかったのだと、私はようやく確信するに至ったのだ。

「……さて、シアに心当たりがないのなら、ボク達で探さなければいけないね」

Nのその言葉に、アクロマさんが折り畳み式のタブレットを起動させた。
私もその画面を覗き込み、彼がその白い画面に凄まじいスピードで打ち込む言葉の羅列を目で追いながら、考えられる可能性を、拙い頭で必死に探していた。

「先ず、人間がこのような力を持っているとは考えにくい。ボクのように稀有な力を持つヒトもいるけれど、それはおそらく極少数だろう」

「……ではポケモンの仕業、と考えてみるのはどうでしょう。
個々の種族に対する研究はまだ発達途上にあります。我々の知らない、未知なる力が秘められていたとしても不思議ではありません」

シア、ポケモンに攻撃を仕掛けられたとか、そういうことはなかったの?」

私がそう尋ねれば、彼女は首を捻りながら「なかったと思います」と答えた。
確か、「机に伏せて居眠りをしていて、起きたら完全に目が見えなくなっていた」ということだったけれど、
その時に彼女が気付いていなかっただけで、その「居眠り」の間に何かをされたという可能性は高いように思われた。

「素人の考えだけど、シアに直接的な攻撃を仕掛けずにこういうことを起こせるのは、エスパータイプかゴーストタイプのポケモンに限られるような気がするわ」

「それらのポケモンだけがそうした力に長ける訳ではないけれど、確かにエスパーやゴーストのポケモンはそうした力を持っていることが多いね」

ということは、シアを憎み、かつエスパータイプやゴーストタイプのポケモンを連れている者の仕業、と考えるのが妥当だ。
シアはPWTやポケウッドであまりにも多くの人と関わりを持ちすぎていて、Nさんやアクロマさんはそこで知り合った人物の中での心当たりをシアに尋ねていたけれど、
私の頭はもっとシンプルに、シアを最も憎んでいる人間は誰かという問いから、たった一人の人物と一匹のポケモンの名前を弾き出すに至った。

「ゲーチスが繰り出してきたポケモン、1匹目は確かデスカーンだったわよね」

「……ゲーチスさんは、違うと思います」

殆ど確信を持って発した言葉だっただけに、即座にシアから「違う」という否定が返ってきたことに私は驚きを隠せなかった。
どうして、と呟くような情けない声音で尋ねた私に、シアは信じられないようなことを口にする。

「だって私、ゲーチスさんの入院しているところにずっと顔を出していたけれど、危ないことなんて一度も起きませんでしたよ」

「!」

驚きと動揺でタブレットを取り落としかけたアクロマさんの腕が、ベッドの脇のデスクに当たり、カタンと音を立てて、プラスチック製の一輪挿しが倒れた。
四つ葉のクローバーが、病室の白い床に転がる。
希望を象徴するその葉っぱを見つけたのが他でもない、点滴の針を細い腕に刺した盲目の少女であることを、私はまだ知らなかった。


2016.2.25
(あの子の秘密)

© 2024 雨袱紗