私のポケモン執筆歴はかなり長くもう10年以上になるのですが、実は1年半前あたりから既に、無理な創作描写が増えたりとか死を仄めかす作品を書きづらくなったりとか、そういう心の変化が既に起こっていて、思春期の不機嫌かつ不安定な少女気取りでちょいとばかし過激な創作をエンジョイできていた頃にはもう戻れないのだろうなーとしみじみ思うなどしておりました。
ただ10年前の作品には10年前の若さとか勢いとか、良い面もそのまま残っている……こともあります。第三者の目からすれば文章はそりゃあもう稚拙で表に出せるレベルじゃなくなっているようなものばかりではあるのですけれども、ただ当時なりに懸命に生きていた私がそのまま物語の中には縫い留められているんですね。それを読み返して「あの頃は若かったなあ」などと笑うのもまた創作の醍醐味といいますか、楽しみのひとつとしてひっそりとカウントしていたりなどいたしました。
たとえば「木犀」を書いていた時期に通い詰めていた大学の図書館で読んだ本の内容だとか、「三番目の魔術師」を書いていた初冬の頃、何を楽しみに毎日を過ごしていたかとか、「マーキュリーロード」を書いていた時期に大学の実習関係で血反吐を吐きたくなるほどに苦しんでいたこととか、「上に落ちる水」を書いていた猛暑の夏に、よりにもよって苦手な化学のバイトに応募して必死に勉強しながらとある成分の収集に勤しんだりとか(プロットはそのバイトの隙間時間に組み立てた)、「やさしくありませんように」を書きながらどんな花の咲く様や枯れていく様に思いを馳せていたかとか……そういう風に、物語を読み返しながら思い出すことの叶う記憶については……まあ、枚挙にいとまがない訳ですね。勿論、物語の中に「化学のバイト辛すぎてやばいあかん」などと明記している訳がなくて、それは書いた当人である私にしか想起できないものではあるんですけれど、その記憶の鍵、思い出の箱を開けるためのパスワード、それがそのまま「当時の私が書いた物語」になっているという状況は、何度経験してもやっぱり面白いものです。癖になる楽しさと充足感がある。こいつはやめらんねえぜ(?)
なので今回のような節目も節目のタイミングで、これだけのボリュームを書き上げたことで、「こどもでいられる最後の私」を縫い留めることが叶った気がして、そういう意味でも非常に満足しています。勿論、アルセウスという最高の作品で一本を書けたことへの充足もすごいものがあるのですが、それとはまた別の意義が今回の物語にはあった……ということは、書き残しておこうと思います。
でも10日で10万字は狂気の沙汰やなあ。