+ 3話目終盤、内容は全体更新時に少し変わるおそれがあります
「何とか言ったらどうなんです、プラターヌ博士」
「……いや、それがさ」
この男の「取り零しやすさ」はこういう、僅かながら狡いところにも起因している。こちらから尋ねていかなければ彼は己が苦悩や窮状を開示できないのだ。いやこちらから尋ねてさえも尚、話さない時だってある。いつもはお喋り好きで饒舌でユーモラスな様相であるのに、こと自らの悩み事になると、彼は大抵、こうである。言葉を求められているという確信を得てからでないと、その重い口を彼は開けない。難儀なことだ、と思う。
生憎ズミはそこまでプラターヌとの関係を懇意にするつもりはないため、彼の悩みにおける開示非開示に一喜一憂するつもりなど更々ない。普段なら彼が悩みを打ち明けようが打ち明けまいが、ほとんど気にすることはない。けれども、あの子供が関わっているというなら話は別だ。ズミはどんな些末な情報であれ集めておかなければならなかった。プラターヌのためではなくズミ自身のために。他ならぬズミが、彼女との対話の場を得るために。
「彼女、あれからほとんど食べないんだよね。食べないし、眠らない。痩せていく一方で、声を掛けてもぼんやりしていることが多い。打つ手がなくて困っているんだ」
だがそうしたズミの催促を受けてプラターヌが出してきた情報は、ズミの予想していない方向へと勢いよく転がり出した。不穏、などというものではなかった。あの、歪んだ顔でこちらを見上げてきた痩身の少女と「食べない」という単語が脳内で重なった瞬間、ぞっとするような恐怖が背筋を滑り落ちていった。
「待ちなさい。あれから? あれからっていつのことです。私が彼女に初めて会ったのは彼女が殿堂入りした日のことですが、あの頃から彼女の細さは相当なものでしたよ」
その質問に彼は答えない。苛立ったズミはそのままの勢いで更に続けた。その前に、回収を終えた小麦粉が入ったボウルを、震える手で調理台の遠くへ押し遣ることも忘れなかった。傍に置いたままにしておけば、激昂のあまりまたしてもそれを弾き飛ばし、厨房を粉まみれにしてしまうような気がしたからである。激情に駆られながらもそうしたささやかなリスクヘッジができる男なのだ、このズミは。プラターヌよりはずっと厄介な質ではあるが、プラターヌよりもずっと、自分自身のことを理解する力に長けているものだから。
「ずっと痩せ続けている? 異常だ。何故誰も何も言わない? 何故どこのメディアも彼女の栄光ばかり取り上げて囃し立てる? 何故彼女そのものを案じない?」
「……」
「シェリーという名前と、あの若さでカロスを救い殿堂入りまで果たしたという栄光が、等号で結びつきさえすれば十分だとでも? 彼女の本質がいくら損なわれようと知ったことではないと、そういう風に貴様等は考えているのか」
「そういうつもりじゃない! ただ」
「流動食をお望みなら病院を訪ねるといい。話を聞いただけでも明らかだ。彼女の痩せ方は最早病的で、とてもではないがレストランに連れ回せるような状態ではない。貴方は暢気に何をやっているんですか?」
許せなかった。
寝食を怠り病的なまでに痩せ続けているという彼女のことも、そんな彼女に手を尽くさないまま暢気にこんなところへやって来ている博士のことも、彼女の窮状を一切報じず栄光にばかりスポットライトを置くメディアの連中も、そうした輝かしい情報だけを摂取するばかりで、彼女の危うさの果てを全く想定できていなかったズミ自身のことも、許せなかった。
そして、怒りに任せて一気にまくし立ててしまったことについて、ズミが僅かながら反省するのと、プラターヌが諦めたように笑ってこんなことを言うのとが同時だった。
「そうだね、ボク等はどうかしている。明後日の予約はもう、なかったことにしてくれて構わないよ」
ああプラターヌ。貴様は狡い男だ本当に。
最終話の最終文を「図に乗るなよこの痴れ者が!!」にしたいとこの日かたく決意した。できるかなどうかな。