+ 2話目終盤部分
さてそんな彼女を次に見たのは、新しいチャンピオンの誕生から僅か数日後。ズミがシェフを務めるミアレシティのレストランでのことだった。スタッフたちが一斉に給仕の手を止め、テレビの前へと駆け寄るものだから、何事かと一括しようとして厨房から顔を出した途端、あの顔が目に飛び込んできたのだった。
新しいチャンピオン。フレア団と戦いこの地を守った救世主。カロスの英雄。そんな彼女を称えるための大掛かりなパレード。ポケモン研究所の博士、プラターヌが用意した舞台であると、レストランの客人が囁いていた。誰もがその舞台に釘付けになっていた。ズミもまた、目を持って行かれたうちの一人に過ぎなかった。
レッドカーペットの上を夢遊病者のようにのんびりと、鉛色の虚ろな目で歩く彼女。その四肢は相変わらず不気味な程に細く、胸元で不安そうにかたく握られた指の頼りなさにもぞっとさせられた。周囲の群衆が彼女を称える歓声、その風圧で、彼女の腕や首が折れてしまいやしないか、などと馬鹿げた杞憂さえ覚えてしまう。
僅かに覚えた違和感はおそらく、隣にサーナイトがいないことによるものだろう。どうやらボールに戻してあるらしい。あれだけの群衆の中、手を引いてくれる相手がいないのではさぞ心細いに違いない、などとズミは一瞬だけ思って、自嘲した。馬鹿げている。相手はこのズミはおろか、チャンピオンであったあのカルネさえ負かした最強のトレーナーであるのに。何を心配することがあるというのか。
『これを、フレア団と戦ったキミに!』
『ありがとうございます。こんな立派なものを頂けて、嬉しい』
この地に貢献した人に贈られる勲章、カロスエンブレムをプラターヌの手から受け取った彼女は、そんな模範回答を博士に為した上で、それはそれは上品に笑っていた。頬はこけて、隈はあの日と変わらず色濃く、瞳は夢でも見ているかのように虚ろであったが、それでもその笑みは余所行きの、上品で礼儀正しいものに違いなかった。
美しい笑顔である。気味の悪ささえ感じさせる完璧な微笑みである。つまらない、と思い、ズミはふいと画面から目を逸らした。ズミの見たかった彼女は、いくらテレビ画面を見つめていても現れやしないと気付いてしまったからである。
あれではない。あのような笑顔で己が記憶を塗り替えられてしまっては堪らない。ズミが見たいのは先日の、水門の間で彼を見上げた際に垣間見えた歪な顔であった。あれをもう一度、もう一度見たかったのだ。
あれだけの強さを携えた彼女が、おそらくはズミの前でのみあのような歪を呈した。その歪な在り方の秘密に触れなければならなかった。彼女の歪の根源、強さの所以、何を恐れ何を拒み何から逃げようとしているのか、それら全てを知らねばならなかった。何故って、そうしなければズミの気が済まないからである。ただそれだけの理由だった、はずである。この時はまだ。
そのためには何よりもまず、勝たなければ。今度こそ、こちらが彼女へと敗北を叩き付けてやらなければ。
『貴方の言うことは聞きません。だって私、貴方に勝っているんだもの』
そうでなければ、ズミは彼女と話をする権利さえ得ることが叶わない。
「!」
テレビから同僚の声がする。ニュースキャスターの顔をしたパキラが彼女の出自を読み上げているようだった。思わずそちらへと視線を戻せば、一人目のジムリーダーに勝利した頃と思しき彼女の姿が写真で紹介されていた。カメラマンでもあるビオラが直々に撮影したもののようである。ケロマツの入ったボールを左手に、バグバッジを右手に持った彼女の「笑顔」が、そこに在った。
今よりも随分と血色の良い、目元の隈もこけた頬も見当たらない、ありふれた純朴な愛らしさがひっそりと息をしているだけの、彼女。
おや、とズミは思う。
貴方、そんな嬉しそうな顔もできたんですか。