有限である

 昨年夏、128GBのメモリのiPhoneに買い替えたんです。それまでは16GBのiPhone6を、限界を感じながらもなんとか使っていました。買い換えた途端、いきなりサクサク動くようになったアプリの数々、何分撮っても警告文「容量が足りません」が出てこないスムーズなカメラ動作に、やっべえなこれとわくわくしっぱなしでした。やはりスマホは2年置きとまではいかずとも4年を目処にフォルムチェンジすべきだな。6年はあかん。

 で、この春からワタクシ毎日のように動画を撮る生活をしていたのですが、きっと撮り過ぎていたのでしょうね。ついに出ました警告文。バッカ野郎がと悪態吐きつつ泣きながら全部消しました。動画の容量はやはり馬鹿にならない。メモリも記録も記憶も有限だ。記録で溺れ死ぬような真似は許されないみたいだ。あまりにも無常。相棒だと思っていたiPhoneが突然厳しい師匠みたいな語り口になって「愚か者め、無限に蓄え閉じ込めておける宝箱など何処にもないのだ」と諭してきた、ような、そんな感覚。そうともiPhoneあなたは正しい。やっぱりダメだ、生きていたっていいことなんてひとつもない。

 それはさておき、今日はパエリアがとても美味しくできました。いいことあったわ。

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