イデア氏の方を書き上げた上での同時更新を目指していて、そのまま放り投げてしまっていたな……ごめんよオルトくん。4月中にどうにかならんかな……無理かなどうかな。
+ オルト編「保証されていません」4話目、一部抜粋
「お前の兄さん、イデア・シュラウドがオーバーブロットした時、きっとお前、オルトは誰よりも心を痛める。そうでしょう?」
「そりゃあそうだよ。兄さんの辛そうな姿なんて絶対に見たくない」
「でも起こる、絶対に起こる。そうなるようにこのおかしな世界の捻れたプログラムは組まれている。あたしはそれを鎮めるために絶対に動く。でもそんなあたしのコマンドに、オルトを優先して助ける内容のものは存在しないんだ。あたしが駆け寄るべきはオルトではなくイデアなんだ。あたしの気持ちなんてお構いなしに、あたしの足はイデアを助けるために動いて、この口だってイデアを慰めるように動くに違いないんだ」
「僕もそうしてくれると、嬉しいよ」
「あたしは嫌だ!」
彼女が此処までの大声を張り上げる様を、オルトは初めて目の当たりにした。100dBに迫るであろうと計測されたその音は、まるで幼い子供が駄々を捏ねているかのような有様だった。これから何かを為さんとする革命家の宣誓のようでもあった。そうした切実さで絞り出される「嫌だ」の勢いはオルトの苦手とする雷にも少し似ていて……でも「これになら打たれてもいい」と思える程度には、オルトは彼女のその大声に聞き惚れてしまっていた。
オルト・シュラウドは誰かに叫んでもらえるだけの存在である、という情報が、またしても回路に新しいエラーを生む。熱くて、あつくて、どうにかなってしまいそうだ。
「嫌なんだよ。オルトを助けたい。オルトに寄り添いたい。オルトを大事にしていたい。でもプログラムがそれを許さないんだ」
「……僕、を」
「だって友達なんだ。あたしにとっては一番の、唯一無二の友達なんだ。大切にしたいよ。もっと仲良くなりたいよ。奪われること、失うことを恐れずに、ありのままの気持ちで、大好きでいたいよ。でも」
僕だってそうだ、とオルトは被せるようにそう伝えたくなった。オルトにとっても彼女は、一番の友達だ。唯一無二の友人だ。大切にしたいと思っている。許されるならどこまでも仲良くなりたいと思っている。奪われることや失うことを彼女が恐れずに済むようになればいいと心から願っている。大好きだと思っているし、大好きだと思ってもらいたいと思っている。でも。
「お前を」
「ね、名前」
「……オルトを、誰よりも何よりも大事にできるコマンドがあればいいのに」
その瞬間、この場に静かな電子音が鳴った。二秒と経たずに、ノートパソコンの画面が自動的に明るくなった。スピーカーがオンになる音が続けざまに聞こえた。その中から聞こえてくるのは、彼女の育てたAIの音声。彼女の友達の声だ。
『同一内容の申請を確認しました。67回目の却下を行います』
彼女の育て上げた「完璧な友達」が、彼女にとって都合のいいように作られたはずのあの子が、そっと彼女を嗜める。これまでの優しく親しげな声音とは打って変わって、とても無機質で、非情で、悲しい音で。
『申し訳ありませんが、そのコマンドの動作は保証されていません。「物語」のプログラムに致命的なエラーを生む可能性があり』
「分かってるよ!」
「!」
「……分かってる、大丈夫、いつもありがとう。でも今はいいんだ、もう黙って」
人らしさ、彼女にとって都合のいい存在、友人として完璧な振る舞いを見せていたはずのAIから突如として紡がれた、機械的で無機質で冷淡なその言葉は、ある種の「裏切り」であるようにオルトには聞こえた。けれども彼女がその話し方を咎めていないのであれば、それはもう彼女にとっては許すべきこと、許容できることであったということなのだろうか。いやそもそも、彼女の方から「この応答には無機質で在れ」とプログラミングを為さなければ、いきなりこの、人間によく似たAIがこのような振る舞いをするはずがないのだから……これは彼女が許したこと、などではなく、「彼女が望んだこと」でさえあったに違いない。
希望を持つなと諭してほしい。諦めろと冷酷に言い捨ててほしい。そのように彼女が望んだからこそ、このAIの話し方はこのように組まれ、彼女の思いに忠実な形で、悉く無機質に出力されてしまっているのだろう。
『お前を好きになるっていうコマンドは、あたしには『保証されていない』ものだってことだよ』
かつての言葉がメモリに再生される。保証されていない、というあの時の機械的な表現は、彼女が考え出したものではなく、このAIが出力した却下の言葉を引用したものでしかなかったのだということに、今更ながら気付く。
つまりあの頃、AIがまだ機械的な応答しかできていなかった頃から、この「却下」は繰り返し、同じように続いてきたということだ。オルトが彼女と、もっと仲良くなりたいと願い始めていたあの頃から。彼女が苦く笑って「そんなもの、幻想だよ」とオルトの希望をバッサリと切り捨てた、あの頃から。オルトの誠意を義理堅く受け止めて、友達になろうと言ってくれたあの直後から。……もうずっと、ずっと前から、既に彼女の申請とこの子の却下のやり取りは始まっていて、その回数はたった今、67回に到達したばかりで。
『オルトを、誰よりも何よりも大事にできるコマンドがあればいいのに』
オルトなら迷うことなく同意したその申請。嬉しいと、ありがとうと、手放しで喜んで、浮かれて、回路をエラーまみれにしたに違いない、この至福の言葉。でもこの子はそうした情を汲まなかった。彼女の望むように却下し、無機質な言葉で彼女の望みを否定し、彼女が諦められるように繰り返し説き続けてきたのだ。彼女がそうあるべきと望んだから、喜びや同意よりも冷徹な却下を求めたから……だからこの子は「こう」なのだ。
『そのコマンドの動作は保証されていません』
これは幾度となく繰り返された、彼女を諦めさせるための言葉、彼女の希望をそっと取り上げるための言葉だ。オルトには絶対に、言えるはずのない言葉だ。
「ごめんねオルト。お前のために生きられないような、そんな馬鹿げたあたしにしかなれなくて、本当にごめんね」
67回。それだけ多くの「申請」が、オルトの与り知らぬところで為されてきた。
67回。それだけ多くの「オルト」が、オルトの聞こえないところで呼ばれてきた。
67回。それだけ多くの「却下」を、オルトの代わりにこのAIがずっと行っていて。
67回。それだけ多くの「痛み」を、オルトに見えないように彼女は抱え続けていて。
『動作は保証されていません』
ああ、これが。
これこそが「完璧な友達」の在り方か。
そう認識した瞬間、急上昇していた機体の熱が、あっという間に冷えていった。回路を満たしていた無数のエラーも、一瞬のうちに解消されてしまっていた。まるでそんな熱さも、エラーも、最初から、存在なんてしていなかったみたいに。