書きかけ

「トリックスター、問おう!」

 妙な面が些か目立つものの、こと副寮長としての仕事と美への探求心においては誰よりも信用に値する男、ルークは、監督生への挨拶代わりにこのような声掛けをした。オンボロ寮へと続く道に落ちた枯葉を箒で掃き集めていた監督生は、ルークの「トリックスター」という奇怪な呼び名にも動じることなく顔を上げる。昨夜振った雪のせいで今朝は随分と冷えており、普通に呼吸をしているだけでも息が凍る有様であったために、その目にルークとヴィルの二人を認めてにっこり微笑む彼女の顔は、吐かれた息の白にほんの一瞬だけ覆い尽くされた。

「おはようございます、どうぞ!」
「君にとって美とは何か?」

 その特殊すぎる出自故に、また身寄りがない境遇故に、女性でありながら学園の温情でこの男子校へ留め置かれている彼女は、ルークとヴィルに切れの良い滑舌で大きく挨拶を返してから、箒を強く握り締め、ニヤリと口角を吊り上げた。

「寝起きの頭には難しい質問ですね。食堂でとても美味しい朝ご飯にありついてからでないと、ろくな答えを出せそうにありません」

(中略)

「では私の『愛の狩人』という代名詞は、君にとっても非常に納得のいくところである訳だ」
「そうですね。愛をもって美を捕らえているという意味で、これ以上ないくらい先輩に似合う言葉だと思っています。……というところで、どうですか? 奢っていただいた朝食の分と私の話、ちゃんと、釣り合いは取れましたか?」
「勿論だとも! 君はどうだい?」
「それはよかった! 精一杯背伸びをして、私に思いつく限りのことを話させてもらったので、これで足りないと言われてしまうともうどうしようもなかったので……。私は美味しい朝食を食べられた時点で大満足、十分過ぎる程の黒字です。ご馳走様でした」

 そっと手を合わせて満面の笑顔を湛えた彼女は、グリムを探しに行きますねと告げて荷物をまとめ始めた。魔法の使えない監督生は、あのモンスターとペアを組んだ状態でなければ多くの授業が立ちいかない。一限目は魔法史のため魔法を使う機会はないはずだが、出席数も二人一組でのカウントのため何としてでも引っ張っていかなければならないのだとして笑っていた。妙に得意気な表情から察するに、彼女はグリムとの「追いかけっこ」で負けたことがないらしい。傍目には全くそうは見えないが、外でぶつかったときに感じた体幹の良さといい、彼女はフィジカル面をかなり鍛えているらしかった。

「ヴィル先輩、つまらないお話を聞かせてしまってすみませんでした。嫌な気持ちになりませんでしたか?」
「……いいえ、とても有意義な時間だったわ。アンタのこと、沢山教えてもらえたもの」

 角の立たない言葉を選んだ訳ではなく、紛れもないヴィルの本心だった。今日の会話の中で何度、監督生への印象が塗り替えらえたか知れない。何度塗り替わっても損なわれることのない彼女の「好ましさ」は心地よく、叶うことならもっと聞いていたかったとさえ思えた。
 けれども監督生はヴィルのそうした言葉を受けても尚、不安そうに眉を下げて苦く微笑むばかりだった。世辞だと思われているらしい、ということは容易に察しが付いたが、その誤解を払拭できるような信頼関係をヴィルは彼女との間に築けてはいなかった。理解を乞うために言葉を尽くすための時間も、今すぐにでもグリムを探しに行かんとしている彼女には残されていなかった。だからそのまま、見送るしかなかった。

「忙いでいるときにすまない、私からもう一つだけ問うてもいいだろうか」
「ふふっ、どうぞ? 手短にお願いしますね」

 だがそんな彼女の事情にさえ飛び込んで我を貫こうとするのがルークという男である。手短に、という注文を受けたからだろう、彼は早口で一気に最後の質問を告げた。

「君は美についてとてもよく考えているように見えるが、その美意識を注ぎ込む先が君の周りにはついぞ見当たらない。君は一体、何を思ってそれだけの矜持を抱え持っているんだい?」

 立ち上がり、鞄を提げるところまで動いていた監督生が、その言葉を受けてぴたりと静止した。二人ともが監督生の言葉を望んでいたため、先程と同じように沈黙は極自然に下りてきた。
 彼女は素早くヴィルを一瞥してから目をきつく閉じ、深く呼吸をしてから笑顔になって、そして。

「此処では言いたくありませんね。また別の日に、今日より更に豪華な食事を奢ってもらえるのであれば、お答えしますよ。では!」

 カタ、と、今度はヴィルが音を立ててしまった。八割ほど飲んだコーヒーが、乱暴に置かれたことで白いカップの奥底でゆらゆらと波紋を立てていた。失礼、と謝罪を紡ぐことさえできず、彼はただ愕然とした表情で監督生を見た。
 此処では言いたくない。それは明らかに、ヴィルの前でその話をすることを避ける姿勢だった。ルークには明かせて、ヴィルには明かせないものが監督生の中にある。その事実はヴィルの何かをとてつもなく傷付けた。「美しい」で検索をかけてその筆頭にネージュの名を聞く、あの時とは全く異なる質の痛みであった。ネクタイを締め直す振りをして深く俯き、首元に指を添えてぐいと押し込み、気道を塞ぐようにしてこの謎の痛みを紛らわせた。
 何故こんなに動揺しているのだろう。何故こんな風に苦しまなければならないのだろう。

「今日はずっと心拍が乱れていたね、毒の君」

 食堂を出ていく彼女の背中を見送ってから、ルークがぽつりとそう告げた。まったくもってその通りだと、ヴィルは溜め息を吐いた。苦し紛れに笑みを湛えることもできたかもしれないが、この狩人には一瞬で見抜かれてしまうだろうから、同じことだったのだ。

 お調子者っぽい子を書くの難しすぎる。真面目に不真面目で在りたいのに気が付けばいつも「不」が消失している。

© 2026 雨袱紗