おはようございます。
アクロマさんもゲーチスさんもフラダリさんもザオボーさんも、勿論シルバーやNやセイボリーだって大好きなんですけれども、彼等はあくまでも「ポケモンという物語の中で主人公と共にどうにか報われてほしい、あの冒険の続きでどうか少しでも幸いに」という、何だ……祈りの対象? みたいなところがあるので、そこにプレイヤーである「私」が入ってくることってないんですよね。
主人公に個別の人格を想定して動かしはするけれど、たとえば私は私の書くユウリが私であるなんてこと、書き手である私は全く考えていないし、私がセイボリーと恋をしたいと思っている訳でもないんです。沢山物語を書いていると、例えばシアやシェリーのように「私」の性質が彼女達に乗ってくることはあるのですけれど、でも彼女達と私の性質がリンクすることと、アクロマさんやフラダリさんへ恋心を抱くことはまったくもって同義ではない訳で。要するにフラダリさんの失意に寄り添うのは私の中ではあくまでも「シェリー」でなければならないし、アクロマさんに誠意を向けるのだってやっぱり「シア」でなければならないと思っていて、それが「私」に成り代わっていいはずがないし、「私」がそこに入りたいとかいう欲がある訳でもないんですよね。
でも夢水清志郎は、教授は違う! 私は幾度となく「私が亜衣ちゃんだったならどんなによかったろう」と思った! 原作である青い鳥文庫の小説内でも幾度となくそう思ったし、漫画化していただいたことでその気持ちはより一層強いものになった! あの物語の中に全く別の、たとえば教授に好かれそうなオリジナルの女の子を作り出して教授との会話を想像して楽しむとかそういう形での夢を見ることなんてできなかった。本当に教授がどなたかに気持ちを傾けてくださるならば、それは「私がいい」と思ってしまったんだ。
でもお付き合いがしたいとか恋愛事がしたいとかそういう訳でもなくて……私は多分、亜衣ちゃんのように扱われたかったのだろうな。個別の存在として認識され、名前を覚えられ、普段は昼行燈に徹して困らせてくる側に回りながらも、いざという時にちゃんと大人になってくださる彼に、守られたり励まされたりなどして愛されたかったのだろうな。原作の亜衣ちゃんにはレーチという同級生のお相手が既にいて、彼との恋物語もシリーズの中では幾度となく取り上げられてきたのだけれど、私がもし亜衣ちゃんだったならレーチに好かれていることよりも教授に名前を覚えてもらえていることの方をいっとう喜んだだろうし、誰よりも何よりも教授を尊敬し師事しただろうなあと思う。まあそんなことをしない亜衣ちゃんだからこそ教授は最後まで(中学卒業まで)見守り続けてくださったのかもしれないけれど……。
とまあこんな風に、10歳の頃から愛しているにもかかわらず私は教授の世界のお話を一本も書いたことがない。だって本気で好きになってしまっているから。本気の恋であるにもかかわらず彼はいつもいつでも「赤い夢」の中にいて、現実を生きる私はその夢の住人にはなれなくて、はやみねかおる様の書かれる文章を通してしか教授の思想や振る舞いや言動に触れることが叶わないから。そうした隔たりの寂しさを突き付けられながらも、それでもやはりあの物語には「それだけでいい」と思わせてくださる強い強い幸福感があって、夢の続きを妄想するまでもなくあの本の中にある教授の姿が全てであり、あれ以上に見たい教授の姿など最早存在しないとさえ思えてしまうから……だから私は書かないのだろうな、彼を。
ちなみにその夢水清志郎シリーズの原作小説と漫画ですが、視界に入るだけでときめきのあまり動悸がするので、普段は精神の安定のため、小さな本棚ごとクローゼット空間に押し込めています。恋をした相手に寝起きの顔とか見せられないでしょう。いつもいつでも恋した相手が視界に入っていたら何にも集中できなくなっちゃうでしょう。そういうことだよ(?)