キバナさんは自分が積み上げてきたものさえ自分の砂嵐でぐちゃぐちゃにしそう

 自分が積み上げてきたものを誰にどう非難されようと押し崩されようと掻き乱されようと別に彼にとっては「どうでもいい」のではないかとも思うんだ。誰に何を言われようとどう扱われようとどうでもいい。蔑ろにされることはまったくもって彼にとっては苦しくない。その栄光や軌跡を自分の手でぶち壊しにしたとして、それだって別に、彼にとっては重大なことではなく、ただそこいらにあったものを片付けた、程度のものでしかないのかもしれない。いつか壊れるものが今壊れただけのこと、くらいの認識でいられてしまう人なのかもしれない。
 彼にとっては熱中できるバトルが全て。ダンデさんと全力で戦い抜けるあの時間が全て。でもその時間を大事に大事に持っておこうなどとは露程も考えない。思い出にしている暇なんてないから。懐かしんでいる暇があるならもう一戦挑みにいかないと気が済まないから。
 でもガラルに生きる多くの人間は、彼のような砂嵐めいた生き方なんてしていない。積み上げてきたものを非難されれば傷付くし、思い出は大事に取っておきたいものだし、懐かしむ時間だってとても愛おしい。自分を慕ってくれるガラルのファンは概ねそうした人種、砂嵐の似合わない方々であることをキバナさんはよくよく分かっている。だからその立場に下りていって、理解しようとするのだけれどちょっと上手くいかない(これを連載の中では「炎上」のイベントで示したい)。
 その齟齬によるちょっとした、本当にちょっとした「寂しさ」を彼はダンデさんとのバトルをしている間は「忘れられる」。その状態が10年近く続いていたと見える。でもそこにユウリとかいう世間知らずの女の子が飛び込んできたことにより彼のちょっとした寂しさが「埋まる」可能性が出てくる訳だ。「お前も嵐を飼っているのか」と思えるようになる訳だ。ならば道連れだ、と笑える訳だ。これは面白いぞ。

 ……とかなんだとか言っていますが、これら全て、SWSH発売9か月目にしてようやくキバナさんのことを考え始めた大遅刻者の考察と妄想の産物ですので、ええ、どうかどうかお気になさらず!

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