ただ気味が悪いだけの「とんだ的外れ」

 ここ数日、妙に落ち込んでいたらしい私(セイボリーに夢中になりすぎていて、その自覚が皆無でしたが傍目にはそう見えていたようですね)を山の上に連れていってくださいました。車を1時間以上走らせた先の、花が綺麗に見える高原。観光客は皆無に近く、貸し切りに近い状態でした。まあ天気悪かったし、ね……。
 紫陽花。土が酸性であるらしく、高原一面に咲くそれは9割5分くらい全部青色で、濃いものから薄いものまで様々ありました。「これは濃いから海、つまりシアの色」「これはくっきりしているから空、つまりクリスさんとアポロさんが共有した色」「これは透き通っている、つまり水色、セイボリーの色」「あっこの一株だけぽつんと佇む寂しげな紫はまさか奴の色では?」とか、彼等に重ねながら歩きました。株の状態で綺麗に咲く大輪の花よりも、アスファルトにぼとんと落ちた塊の方がずっと綺麗でした。花弁だけ千切れて散らばっている様はもっと綺麗でした。そんなものにばかりスマホのカメラを向ける私を、家族は笑って見ていました。
 風車が紫陽花畑の真上で幾つも回っていました。ひゅんひゅん、と音が聞こえるくらい近くで見上げて、そのプロペラが深い霧をかき混ぜている様子を楽しんできました。あれはずっと、見ていられたなあ。

 大事な貴方にお気遣いくださり光栄の至り。久しぶりの、人混みを完全に避けた山奥への外出。とても喜ばしかった、大好きな花を沢山見られて充実していた。ねえでも私の大事な家族、これが私の落ち込みを解消するための行動だったなら、それってとんだ的外れ。私は機嫌を取ってほしかった訳ではないんです。楽しいことをしたかった訳ではないんです。違うんですよ先生。
 ただ「貴方のしてくれたことは本当に嬉しかった、でも私が本当に欲しいのはこれではない」などと、セイボリーのように口にするだけの勇気なんて持てやしないから、もうただただ、嬉しかったよと、楽しかったねと、綺麗だったねと、言うだけでよかったんですよね。大丈夫だったんですよね。よし、それはちゃんと言えたから今日の私はきっと合格だ。適正だ。よかった!

© 2025 雨袱紗