この24のページ送り10枚目くらいまでペラペラとしたら9割5分セイボリーのことばっかで、DBHの叫びを全く入れられていなかったのでちょっと改めて叫ばせてください。カムスキーさんは好きです。
自室のど真ん中に構えた真っ赤なプールに美人の女性アンドロイドを泳がせつつ、同じ顔のアンドロイドに銃を突きつけ「させる」という蛮行をやらかしながら、「枯れることを知らぬ花」と自ら生み出した命を自ら称賛するその心意気。いや最高ですね。変態ムーブが全面に押し出されていますがカムスキーさんにはちゃんとアンドロイドという「知的生命体」を愛する心があると思っていて、そう信じる気持ちが私に「カムスキーさん!?」と叫ばせているんです(何言ってんだこいつ)
(以下、書いている内容がちょっとその、うん、気持ち悪いかもしれないのでご注意ください)
DBHのカムスキーさんもBW2のアクロマさんもスーダン2のイズルも、「えっ何この人怖い、あかんやつや」と思わせておきながら、その実、中にとても清い魂を飼っているのではないかと疑わせる「隙」が台詞や行動の端々に垣間見えて、それがとても、とても好ましいのですよね。その隙間からぐっと彼等を覗き込んで、いっぱい考えていっぱい書いて、ようやく彼等という人物の神髄にほんのちょっとだけ触れたような心持ちになれるのが、いっとう好きなんだ私は。
でもセイボリーって「隙」だらけじゃないですか。言動から表情から挙動まで全部から、清い魂を飼っていると「確信させてくる」だけの力があるじゃないですか。「疑わせる」とかいうレベルじゃないんですよ。それはもうぐいぐい来ているんですよ。だから迷いなくすらすら書けてしまう。アクロマさんやイズルを今の姿に固定するまでにかなり長い時間がかかったのですが、セイボリーは対面して3日で最初の話を書いてしまい(シュガーベア3話目)、その段階で既に「彼は、こう」というのが固定されてしまったんですよね。
こんなに早く固定できてしまうってことはセイボリーって実はそこまで奥深い人物ではないのかもしれない、とも思います。実際、そこまで深くはないという風にも認識しています。だって彼、何も隠してない。リーグカードとかいうもので過去まで赤裸々に暴かれてしまっている。もう我々は彼の人間性について探りを入れる必要がほとんどないんです。だって彼の方から余すところなく開いてくれているから!
にもかかわらず彼には、私がアクロマさんやイズルやカムスキーさんに(勝手に)見ようとしている「魂の清さ」がそのままある。私の希望的観測とかではなく本当にそのまま、その純粋性が真実の形を取ってゲームの中にある。そんなん美しいに決まっている。心臓を持っていかれてしまうに決まっている。
長々と叫んでしまいましたが結論としてはこれに尽きる。彼は綺麗です。全てを知られているはずなのに、それでも尚、綺麗です。恐ろしい程に。