希望と価値(イズルとK)

「貴方にとっての希望とは何ですか」
「何をせずとも、何も言わずとも、ただそこに在るだけで価値のあるものよ」
「……その場合の価値とは、何ですか」
「あたしが、あたしのままでよかったと思わせてくれるような喜びのことよ」

「ただそこに在るだけで価値のあるもの」Kにとってこれは「希望」でその認識は私にも共通するところがある、というか、まさにそう。
でもこの希望を求めるためにイズルは0と1本編中で「ただ、生きながらえてくれればそれで構いません」ってKに告げている。
要するに「生きてくれ」と乞うている訳で、やっぱり私の希望だとか愛だとかそういうベクトルって「生きること」に強く向いているんだ。

他に何を求めずとも、どうしても「生きること」だけは望んでしまう。私はどうしても愛というものについて、完全なる無償化はしきれない。
だからフラダリさんのこともキレさせたし、ザオボーさんやネズさんにも頑張ってもらった。
生きなければ希望足り得ないと思ったからだ。生きていてくれなければ、愛が届かないと思ったからだ。
ああでも「届かなくても構わない」とする想いこそが愛であるならば、この「命ありき」で成り立つ希望のなんて傲慢なこと!
でも、この「命の傲慢」が愛に隠れているのなら、それってめちゃめちゃ私らしいなあ。透明な愛を濾過したら「命の傲慢」が残るとか、最高じゃないかなあ。
「美しさと愛」と「命」を天秤にかけて「命」を捨てきれなかった私らしい傲慢だ。素晴らしいことじゃないか。生きよう、無理を通してでも!

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