今日、家族のまともじゃなさについてお話をする機会があったので

家族ってパンドラボックスみたいなところあって、それぞれの家庭がそれぞれに「ちょっとずつおかしい」んですよね。
その家庭でしか通じないルール、認識など、社会の最小単位と呼べるその屋根の下で築き上げられたものは「独自の文化」であるからして、
その歪性を客体化して「いや貴方のところの文化マジ狂っていやがるよ」などと糾弾する行為は、そう、基本的には許されないことです。
虐待とかネグレクトとかDVとか詐欺行為とか浮気とか、そういう、明らかに倫理に悖るものは「文化」の否定ではなく「法律」の裁きでどうにかするものであって、
間違っても「は?  あんたの家の味噌汁って素麺なんか入れるの?  うっわ気持ち悪い!」などと心ない人に言われたからって、そんなこと気にしちゃいけないんですよ。
だって素麺文化はその家族の個性でしょう、だからいいんですよ。素麺文化がどの法律に反しているというんですか、全く構わないんですよ。
だから、素麺を味噌汁に入れて食べる自分の家族に対して後ろめたさを感じる必要はまるでないんです。そういうことなんですよ!(?)

この2日間の大量の愚痴、あるいは5日中旬にあった大沈黙について、サイトでのコメントやラインやお電話で、複数の方からいろんなお言葉を頂戴しました。
本当に嬉しく、有り難く、心強いことでした。
その中で、私が属する家族における歪性について説明する機会が何度かあったので、私の中での認識をまとめる意味でも書かせていただきます。

元々が、19歳もの年の差を有しながらも家族の形を取ろうとしたとんでもない二人です。もうこの形自体が既に歪であると思ってもらってもいいくらい。
そして、歪であるなら歪であるなりに生きればいいものを、まるでごく普通の一般家庭のような在り方を一方が強く望んでいたが故に今回の、より歪で滑稽な問題が生じました。
望んだ側はそれが問題であり、普通のやり方ではもう叶わないことである……ということなど、昨日までついぞ認識していなかったようですが、
私は、なまじその相手に絆されているが故に、望みを叶えようと躍起になって、一人で馬鹿みたいに戦い続けて、一人で勝手に、苦しんでいました。

私は、歪な形であったとしても、憎からず思った相手と家族の形を取れることをそれなりに幸せに思っていました。
ただ相手にその「歪」という認識がなかったために、相手が何の努力もなしに「普通」を手にできると思っていたがために、
私は家族における「普通」などという不毛なアベレージに私の家族の形を近付けようと躍起にならざるを得ませんでした。
しかもその普通、を目指すために頑張らなければならないのはほとんどが私(女性)の側であるという滑稽ぶりです。
おかしな話です。私自身は普通なぞ望んじゃいなかった。私は、歪なままでよかった。
「歪であることはかけがえのない個性」だと、マーキュリーロードのザオボーさんみたいなことを本気で考えて、私と相手でしか作れない歪を悉く愛する準備さえ出来ていたのに。

二人だけで美味しく食べたかった、素麺の入った味噌汁を、急に取り上げられて「普通は豆腐とワカメを入れるものだよ」と説き伏せられているような、そうした虚しさ。
……こう書くとなんだか一気に脱力してしまいますね。もしかしたら今回の問題って、味噌汁の中の素麺くらい些末でささやかなものでしかなかったのかも。

ただ、ようやく、昨日ようやく、相手は私達が「歪」であることに気が付いたようです。
認識を共有できたことは本当に嬉しく、なんならもう、そこのところの齟齬がなくなっただけで私は十分すぎる程だったのですが、
ただ、それでも諦めきれないという言葉が向こうからあったものですから、まあ私もあと少し、頑張ってみることにしました、ということですね。

いろんなことをぼかして書いているため何が何だかという感じではあるのですが、大元を辿ればこの素麺問題と重なるのではないかと思い、
きっと今文章化しても支離滅裂で読みにくいものにしかならないだろうという確信を持ちながらも、私の心の整理のためだけにページを割き、だらだら書かせていただきました。
おやすみなさい。

明日はcold caseの更新おそらくありません。お仕事しなきゃね……。

 

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