何らかの確信を持って生きようとする人々はやはり強い

そういう意味でアポロさんも強い人だ。神との邂逅によってそうなってしまった。
彼の確信というのは紛うことなき神の形をしており、その神にはクリスという名前が付いているんだ。

あとトウコとNも互いに互いを確信し合っているから強いんだ。というか確信とかいう単語に当て嵌めずともこの二人は強いんだよ。憎たらしい程に強いんだ。狡いなあ。

シェリーやミヅキにもある種「確信」という言葉で装飾できる類の強さがある。
シェリーは「私が好かれるはずがない」という確信、マーキュリーロード終了後のミヅキは「私が主人公になれるはずがない」という確信を持っている。
その確信が客観的に見て正しいか否かというのはどうでもいいんだ。その確信、揺るぎないものがあれば迷わずに済む。それがどれだけ心強いことか。

ユウリはそういう「確信することによって得られる強さ」を意識した上でわざと確信しているようなところがある。
でも彼女は、自らのことに関してはとんと確信を持てずにいるから、自らのことに関してはどこまでも不安定、自分以外のことになら平気で確信できるのにね。

シアは確信をある種の罪だと思っている節がある。
彼女にとって確信とはある種の驕りであり、その驕り、傲慢を誇れなくなってからは、それでも抱いてしまう「確信」を自らの「悪癖」として自嘲している。
彼女にはずっと「信じています、ごめんなさい」と言ってほしいなあ。罪だと分かっていても、後ろめたくとも、信じてしまう、そのどうしようもなさを貫かせたいよ。

ただ、これらの確信というのは「若さ」であり「青さ」であるとも言えるかもしれない。
たとえばゲーチスさんにこの確信という言葉はほとほと似合わない。ザオボーさんにも使ってほしくないなあと思う。
もうちょい若いところを生きているフラダリさんとかはまだ手放せていなさそう。更に若いと思われるアクロマさんはまだ嬉々として使いこなしていそう。
Nとかビートとかシルバーとかは確実にこの確信の虜である。信仰は純粋な瑕疵なき魂の特権であるのかも。

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