「120日。人間の血の色である赤が新しいものへ入れ替わるまでの時間です。骨は90日、消化器官を構成する細胞ならもっと短い。
人間の体組織が全て入れ替わるまでには、約7年ほどかかるとされていますね」
「ええ、学習しています」
平坦なメゾソプラノで少女は答える。仕事中の愛想の良さは綺麗に失われている。まるでそんなもの、初めからなかったかのようだ。
医療・福祉・対人、その他諸々のモジュールをアクロマの指示に従い全てオフにした彼女は、
表情や声の抑揚や無駄な仕草の一切を削ぎ落し、ただ機械然とした佇まいで相槌を打つばかりである。
今や神話の扱いとなった「白衣の天使ナイチンゲール」を模したと思しき10代半ばの容姿をしたそのアンドロイドは、
けれどもアクロマの目には天使というよりも、もっと無力で、非力で、愚かで、傲慢な、もっと別の、どうしようもない生き物に見えてしまう。
「貴方も、物理的な損傷やパーツの摩耗により、その腕や脚を取り換えなければならない時が遅からずやって来るのでしょう?
入れ替えのために必要な「代謝」の機能を、アンドロイドは持たない。だから外から手を加えて物理的に継げ換えるしかない」
「ええ、ドクターの仰る通りです」
青い血液であるシリウム、夢の化学物質によって、完璧に有機物を模すことができるようになった存在。
にもかかわらず、こんなにも冷め切った言葉選びしかプログラムの根幹には内蔵されていない、悉く無機質な存在。
彼女は機械である。けれども完璧に人間であるように見える。声だって生きた少女のそれだ。けれどもアクロマが触れた小さな指の温度は当然のように冷え切っている。
有機質と無機質の間にピンと糸を張り、そこを綱渡りしているかのような危うさがあった。アクロマはその糸の真下にいて、彼女が「落ちないように」見張っているのだ。
「アンドロイドのパーツ交換を人間は奇異なものとして捉えがちですが、人間だってこの肉と骨の体で同じことを無意識に行っているんですよ。貴方と、そう変わりない」
「だから、本日15時33分に貴方のご同僚様が私に為した言葉は「気にしなくていい」という趣旨の……話を、しようとしているという認識で間違いありませんか?」
彼女が笑う。ヒトが使役する機械に、表情などというものは本来不要なものだ。
けれども彼女のように人と「接する」ことを前提にプログラムされた機体は、ともすればヒト以上に表情を作ることが上手い。
「ご同僚様のあの発言が、貴方には、私への罵倒であるように聞こえた。そうですね? だから貴方は私を慰めようとしている」
「……ええ、その通りです」
アクロマは舌打ちをしたい衝動に駆られた。彼女は彼の指示に背き、オフにしていたプログラムの全てを再稼働させてしまったらしい。
でなければ、このような柔らかい表情をするはずがないのだから。脆く危うい彼女が「白衣の天使」足ろうとする理由など、そのプログラムの中にしか在りはしないのだから。
彼女が、そう言ったのだから。
「ご配慮ありがとうございます。けれどもそのお気持ちはもっと別のことに砕かれた方がいい。ドクター、貴方も理解しておられるのでしょう?
私は、人間を支援し、寄り添い、共感し、愛情を示す存在として作られていますが、人間からの愛を受け取れるようにはプログラムされていないんですよ」
「シア、何故プログラムを勝手に再稼働させたんです? わたしは貴方と話がしたいんですよ。わたしを、貴方の患者と混同しないでいただきたい」
「貴方が辛そうな顔をしていたものですから、私を、役立てるべきだと判断しました」
辛そうな顔をしている、という判断は無機質的なものか? 私を役立てるべきという思考もそうか?
指示に反して対人関係のプログラムをオンにした、その意思は果たして有機性があると言えるだろうか? 機械の思考は、情緒は、人足り得るのだろうか?
「様々な激情を孕んだ言葉や遣る瀬無い思いの暴走が生む暴力へどのように対処すべきか、私は理解しています。その相手が患者様であろうとなかろうと変わりありません。
私は激昂や混乱を情報処理の間に挟むことなく、即座に適切な対応ができます。この機能を常に稼働させ、苦しむ患者様や医療関係者様のお役に立てることが私の喜びです。
そんな私の目の前で、貴方が、人間が、苦しんでいるんですよ。その苦悩を引き取れるとプログラムが言っているのに、何もせずに黙っているなんて、できる訳がない」
喜び、と彼女が言うそれは一体、何京個の0と1で表されるものなのだろう。
人の手により高みに上らされたプラスチックの天使は一体、いつになったらその綱から足を踏み外すのだろうか。
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「機械的でもあり人間的でもある」人間と「機械的でもあり人間的でもある」機械……とかいう、相性が良いのか悪いのかよく分からない二人