ミヅキはルンバをめちゃめちゃにデコレーションしそうだなあ。
ユウリは逆に機能美と称して何も付けなさそう。
アップグレードとかもせずにそのまま、機械としての定年(つまりは……今の機体が型落ちになるまで)の間だけフルパワーで稼働させて、
その後は一部屋だけの掃除の指示に切り替えて、のんびりさせてしっかり寿命を全うさせそう。
スクラップになって、何処か知らぬ機体の部品として再利用される流れをビートは嫌悪しそうだけれど、ユウリは人間の葬儀と機械の葬儀を完全に分けて考えているから、
「こちら側(機械側)の文化として我々に定着しているものにそこまで嫌な顔をされると流石に傷付く」くらいのことは言ってのけてしまいそう。
機体を溶かし、固めて別の部品に「生まれ変わる」という作業は、子供を為すことの敵わない機械にとって唯一の「命の繋ぎ方」であるように思える。
私個人は、機械に宿る魂があるとすれば、それは原作でコナーが何度でもアップロード・ダウンロードした「メモリ」になると考えていて、
その「命と魂の分離と循環」が、人と機械の価値観の大きな違いであるという風に、捉えられなくもないかなと……。
人は肉と骨の塊である命とその中に宿る魂を切り離すことができないけれど、機械はそれができる。
機械の命は再利用という形で別の機体へと巡ることができるし、メモリという魂は何度でも移し替えられる。
このように認識してしまうとほぉら機械っていいな人間ってなぁんて不自由なんだろうなぁって思うよなぁほんまなんで私は肉なんだろうなぁ気持ち悪いなぁフフフラダリ