悪くない、「それ」は何も悪くない

ただいま!
帰宅は9時30分くらいだったのですが、世界仰天ニュースに目を奪われていたらこんな時間になってしまいました。
夜のTVをがっつり観たのは本当に久し振りだなあ。

以下、TVのはなしです。ポケモンとかダンガンロンパとかなんにも関係ない、ただの個人的なはなしです。あしからず。

9歳での拒食症となると、もう普通にお食事できていた時代のことを思い出すのも難しいくらいのレベルになるので、本当に大変だったのだと思います。
ただ「31歳になった今も太ることへの恐怖と戦っている」という言い方をナレーションではしていたけれど、
私は拒食症とか摂食障害とかって、こう、そんな戦って駆逐していけるタイプのものではないと考えています。
それは太ることの恐怖であったり、女性になることへの拒絶であったり、
はたまた防衛機構であったり、あるいは自己実現のためや愛情を求めるための手段であったり、そこら辺はばらつきがあるとは思うのですが、
それら全て当人の「心の一部」であることに変わりなく、それを切り捨てて倒して「よっしゃ、悪は去った」というような、
そんなスッキリさっぱり終われるようなものじゃないと、私は考えています。
あくまでそれは多少の歪みを呈した「個性」であり、己の一部であるならば戦って駆逐するのではなく「上手に付き合う」という表現にした方が、
自分を嫌いにならずに済むし、むやみに自己を否定するような思考を展開しなくても済むし、少しだけ楽になれる……ような、気がするのです。

……勿論これは私の経験論に過ぎないし、私はTVのお姉さんよりもその状態の「共存年数」が短いので説得力に欠けるかもしれません。
ただ私はそういう、人前で食事をする恐怖とか自らの食べるものをコントロールできないことへの嫌悪感とか食生活の歪みとかそうしたもの全部、
呆れ、憎しみ、憐れみ等々のマイナス感情を抱えながら、いつかこいつ(摂食障害)を殺してしまいたいと思っていて、実際にそう努めていて、
けれども10年かけてもどうにもならず、駆逐することを諦めて、もういいよと受け入れて、育て上げて、最終的に「人生の相棒」とまでしているような節があるため、
もし、もし似たような症状で「戦おう」としておられる方が此処にいらっしゃったら、私は「あまり拒食症を嫌わないで」と、お伝えしたい気持ちでいます。

その名前(摂食障害)を背負ってくれる貴方の心の一部と、いつかスッキリさっぱり別れられるならばそれでいい。
でも、別れることができなくたって、殺してしまうことができなくたって、いいのだと思います。
どのような辛い形であれ、それは貴方を守るために暴走した貴方の心の一部ですから、労わって、お礼を言って、もういいよと許してあげてください。
「それ」は、宿主である貴方に許されたがっているはずですから。

と、此処までがTVを見た上での私の思いで、更に以下がTVを見た上でのただの感想というか、個人的に一番心臓を持っていかれた部分です。

「やめて! 放っておいて! 私が食べるものを私が決めて何が悪いの!?」
再現VTRでの女の子の発言なので、実際の言葉はこの台詞そのままではなかったのかもしれませんが、
それでもこういう趣旨のことを9歳の子が両親に向かって叫べるって、もうそれだけですごいことだと思いませんか。
拒食症の力など借りずとも、そんなに辛い思いをせずとも、既にこの子にはもう強すぎる「生きる力」が備わっているような気がしてしまったんです。
拒食症とか摂食障害とか今も戦っているだとか食べることへの恐怖とか点滴を抜きたくなる気持ちとか、
そうした、私にとっては分かり切ったことの羅列をどれだけされるよりも、私にはこのたったひとつの叫びが一番、効きました。
深く鋭く痛く刺さって、涙が出そうになりました。

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