オカアサマの話

東北地方に妹さんがいらして、とっても仲が良いんですよね。私は……2回しかお会いしたことがないのだけれども、明るくて気さくで、素敵な人でした。
家庭菜園が趣味らしいのですが、家庭菜園とかいう規模じゃないくらいの、ものすごい広さの畑で果実とか野菜とかいろんなものを作っていらっしゃるようで、
そういうものを東北からわざわざ、このタンバシティまで送ってくださるとのことで、そのおこぼれを私もたまに頂いたりしていたのですよ。
(AKITAのリンゴを一度食べたら他のリンゴ食べられなくなる、それくらいむっちゃ美味しい)

そんな二人、よくお電話をするらしいんです。頻度としては、毎晩。そう毎晩。
1時間くらいぺちゃくちゃと夜にお喋りして、それからお風呂に入るのが習慣になっているみたいです。
遠く離れていても、大好きな人とのお喋りが習慣化できる時代ってなんて素晴らしいんだろうって思うし、
そうやってどこまでもいつまでも続いていける御姉妹の絆ってなんて素敵なんだろうって思うし、
姉妹という関係性とかずっと続いている電話とか、遠くにいるけれどいつも一緒という事実とか、そういうの全て、なんというか、いいなあって、思ってしまうんです。

そうした話を毎週のように耳にするものだから、毎週のようにいいなあと羨んでしまうものだから、私は最近よく、本当によく、
どうして私の大事な人は私と血が繋がっていないんだろうとか、どうして私はお姉ちゃんになれないんだろうとか、
そういう、夢見心地で駄々捏ねみたいな馬鹿げたことを、けれどもものすごく真剣で切実で痛烈なことを、思ったりするんです。

「いなくなったりしないよ、お姉ちゃんだもの」
この言葉と同じくらいの質量と説得力で「いなくなったりしないよ、××だもの」と言えれば、
それで「お姉ちゃん」であるのと同じくらいのレベルで相手を安心させてあげられることができれば、などと思ってしまっていますが、
よくよく考えれば××などという呼称で呼び合った当サイト二人があのようなARISAMAになってしまっているのだからそもそも××という単語のチョイスが間違いだったのか!?
AKAN!

そういう意味でやはりNとトウコの関係性はものすごく強い。
彼等二人は赤の他人にすぎないはずなのに、彼等を選んだゼクロムとレシラムが対の存在となってしまっているものだから、彼等だって当然のようにそうなるしかないのだ。
一度受け入れてしまえばそうあることを疑う余地など全くなく、あとはその、死がふたりを分かつまで絶対に切れない絆を己の強さに、勇気に、変えていくだけなのだものなあ。
いいよなあ。

更に言えばまだ書いてさえいないけれど物理的に「二人でひとつの形を取ろうとした」狂人が
「これであんたはもう死ねないでしょう、だってそうしたら、あたしも一緒に死ぬことになっちゃうんだものね。あんたはあたしのこと、殺せないわよね」
とか言って「死によっても分かたれることの叶わない二人」というかたちを物理的かつ人工的に作り上げようとしたのは、
生きるための強さとか勇気とかそういうものを無限に生成するための手段としては最も手っ取り早いというか、理には叶っているんですよね。まあ狂っているけれども!

ごめんね酔っ払い(炭酸水で雰囲気酔いするのものすごく得意)のたわごとだよ、許しておくれ。

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