何かを「想う」心というのはそれだけでかけがえのないものであると思っているのですが

ただそこに世間さまとかいうちょうクダラナイものが加わると想いの純度がぐっと下がってしまうから、大事な想いほど、大っぴらにせず大事にとっておくに限るんですよ。
その想いを、貴方にとってのその想いの尊さを、正しく認めてくださると信じられる、そんな相手にのみ想いを開示すればいい。
想いの秘匿は卑怯な行為ではなく、想いの純度を保つために我々が取るべき手段の一つであると考えています。

ただ、「この想いの純度が下がっても問題ない」あるいは「何も知らない世間さまの視線により己の想いは汚されたりしない」
こう思える場合は制限なくどんどん開示していってもいいんじゃないかな、とも考えていたりします。

「アクロマさんとゲーチスさんとフラダリさんとザオボーさんが大好き」「イズルを概念的な意味でとても愛している」
「先生と死に別れるまで共に在るつもりでいる」「フランクル教に属している」「スイカおいしい」
……これらは、当サイトの表あるいは裏において私が開示している想いの代表的なものですが、これ以外にも私という個人はいろんな想いを抱えています。
これらを遠慮なくズバズバ開示しているのは、別にこれらの思想を他の誰に批判されたとしても構わない、そんなもので私の想いは揺らぎようがない、と確信しているからです。
逆にそのように確信できないもの、どのような視線を世間さまに向けられるか怖くて怖くて仕方がないもの、……というのは、
軽く仄めかす程度に留めておく、あるいは徹底的に秘匿する、もしくは想い自体を殺す……といった手段を取ることで自衛しています。

そういう訳で私には、本来隠し事がタブーであるはずの相手にまで話していない、大きすぎる想いが、いくつかあります。
私はその「想いの秘匿」を、卑怯で不実な行為だとはもう、思っていません。

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