もうちょいテンション上げるために「夜と霧」の話をしよう

フランクル大先生の本は7冊くらい読んでいるのですが、手元に置けているのは2冊のみです。
諳んじられる言葉については複数あるのですが、ぱっと出てくるものはやはりこの3つかな。

A「愛されている人間は、ただそこにいるだけでかけがえがない」
B「苦しみはその意味を見出した瞬間に苦しみであることを辞める」
C「異常な環境下において、正常な行動はむしろ異常である」

Aについては賛否両論あるかとは思うのですが生ぬるい私の書く生ぬるい二次創作の中でくらいはこの文言が真実であると信じていたいなと思っており、
このポリシーは曲げることなく「誰にも、替えなど効くはずがない」といった心持ちであるつもりであり、ほぼ全ての女性主人公にこの思想が反映されています。
ただ、Kは「やめてやめてそういうの大っ嫌いなのよ愛されているとかそういうので価値を決めようとするスタイルほんと虫唾が走るのよいいから黙って」というタイプで、
この信念をずっとずっと大事に抱えて手放そうとしないYの気構えを心から軽蔑している……のではないかな。

Bについては登場人物の中の「誰が」というのではなく、書く側としての私の信念としてよく引用しているような気がしますね。
当サイトにある物語の大半が「愛に溢れた楽しく明るい夢小説」の様相を呈していないのはそういう理由であったりもするかもしれません。
重たい物語ばかり書くことを好んでいますが別にポケットモンスターの世界を苦しく書きたいとは全く思っていなくて、
傍から見たら目を覆いたくなるようなおぞましく気持ちの悪い苦しみでも、長く付き合って向き合い続けることでその苦しみの色が変わる瞬間……というのが確かにあって、
それが「苦しみに意味を見出した瞬間」であり、色の変化というのがまさしく「苦しみであることを辞める」ということだと思っているので、
その瞬間のその変化はとても優しくとても眩しくとても美しいものだと信じているので、……そういう訳で、此処にはのっけから楽しい、という話が皆無であるのかも。

Cは私の大好物ですね間違いない(?)
これをポケットモンスターの世界に当て嵌めたこともまあなくはない(Methinksとか)のですが、こちらはむしろダンガンロンパの世界に親和性が高い気がします。
人が当たり前のようにバッタバッタと死んでいくような世界で、絶望を信仰する連中がわんさかいるような時代で、
現世に生きる私達のように普通に人を愛して普通に人を大事に思って普通に生きていこうとするなんてそっちの方が余程異常なことなんですよという話です。
異常な世界や異常な時代では、愛の証左も命の価値も正常なままではいられるはずがなくて、どんどん狂っていくことこそが「順応」であって……。
その順応を糾弾されるいわれはまったくもってないんだよなあ、でも双方の「正常」が交わらずねじれたままでは悲しいよなあ、というような話を……早く書きたい……。

よし、またちょっと元気になった。

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