銀の橋、通る風

目の前に大きな布が被せられた。首から下をすっぽりと覆う、その面妖なマントの肌触りはとても良い。
ジュペッタがその滑らかなマントを摘み、ケタケタと笑う。
鏡越しに後ろを見ると、彼女は嬉々として鋏を手に取った。

「本当に私がしてもいいの?」

「……髪に拘りはない、好きに切ってくれ」

プラズマフリゲートの艦内、女神の一人であるバーベナに宛がわれた一室。そこでダークは大きな鏡と向き合わされていた。
ことの発端は、彼女がシアにイッシュの図鑑を託されたことにある。
カロスに引っ越した友達を追いかけると先日断言した彼女は、博士に渡されていたポケモン図鑑を未完成のままバーベナに渡したのだ。
嬉しそうに微笑み「それじゃあ旅に出かけてきます」と言った彼女に、プラズマ団員達は悲しみの声を上げたが、ゲーチス様とアクロマは違っていた。

『ダーク、彼女に付いて行きなさい。』

そう指示したゲーチス様の思惑は解らないが、隣にいたアクロマが不敵な笑みを浮かべていたところからして、彼が何かを吹き込んだのだろう。
大方、ホドモエの祭りでの一件を見ていたらしい。相変わらず食えない人間だとダークは溜め息を吐いた。
しかし一人旅をすると言った危険意識のない彼女に付いて行く許可を得られたことは素直に喜ばしいことだと思っていた。ゲーチス様の命令には誰も逆らわない。
……もっとも、最近ではその構図も徐々に崩れてきているようではあったが。

「じゃあアクロマ様のような髪型にしようかしら」

「それは困る」

間髪入れずにそう返したダークに女神は笑った。「冗談ですわ」と言って鋏を慎重に入れていく。
髪を切るというこの行動、実はこれもアクロマの提案だった。
「貴方、そんなおかしな恰好で彼女の旅に付いて行くおつもりですか」と言われ、何処から用意していたのか、黒を基調にした服を差し出されたのだ。

『どうせなら髪ももう少しまともなものにしたらどうです。』

『……まさかお前に言われる日が来るとは思わなかった。』

どうして面妖な髪型をした人間にそう言われなければならないのか全くもって解せなかった。
しかしそれでも渋々ながら従う素振りを見せたダークに、嬉々としてバーベナが駆け寄ったのだ。

『ねえ、貴方の髪を切らせてくださる?』

その申し出に二つ返事で了承し、今に至る。彼女は鼻歌を歌いながらダークの銀髪を梳いていた。
何が楽しいのか、その原因までははかり知ることが出来ないが、長年の付き合いである彼女が楽しんでいるか否かということくらいは解る。
少しボリュームを減らして、短くしますね。そうダークに確認して彼女は鋏を進めた。
彼には髪への拘りなど微塵もない為、この長い髪で彼女が喜ぶならそれでいいか、という、その程度のものだったのだ。
しかし彼女があまりにも流暢にカットを進めていくものだから、ダークは鏡越しに確認出来るその作業につい見入ってしまっていた。

「前にも、髪を切ったことが?」

「ええ、N様の髪を。大きくなってからは触らせてくれなくなったけれど、それまでは私が」

その言葉にダークは納得した。道理で手際が良い筈だ。
最初こそゆっくりと鋏を入れていた彼女だが、次第に目的とする髪型が決まったのか、かなりの量の髪を一気に切り落としにかかった。
バサリと乾いた音を立てて、銀色の髪が床に落ちていく。それをじっと見ていたダークは、そのあまりの量に顔をしかめた。

最後に髪を切ったのはいつだったのだろう、それはもう思い出せない程に昔のことのような気がしていた。
少なくとも、誰かに切って貰ったことなどない。気が向けば自分で鋏を入れ、一回、二回と動かせば、不要なものは手から零れ落ちていった。
ここ数年は、その暇すら惜しむほどに忙しかったのだろうか。
そんなことはない、とダークは思う。しかし事実として、これ程までに長い髪がずっとダークの後ろに纏わりついていた。

「髪を切る時は、失恋した時なんですって」

「……俺は失恋した覚えはないが」

「でも、夢中になっていたものはあるでしょう?貴方も私も必死だった」

バサリ、バサリ、チョキン。彼女は規則正しく髪を切りながら穏やかにそう紡いだ。
もう二人を急き立てるものは何もなかった。プラズマ団はこの短期間に大きな変貌を遂げた。それは二人の苦しみの終わりを意味していた。

「私も髪を切ろうかしら。新しい気分になれるかもしれない」

その言葉にダークは、自分の血色の悪い顔が更に青ざめるのを感じていた。
まさか、この馴染みを重ねた知り合いに想い人がいるとは知らなかった。
その瞬間に胸を占めた感情は、奇しくも今の「髪を切る」ということが示すその事象に合致しているような気がした。

「大丈夫?顔色が悪いわ」

「失恋したのか?」

間髪入れずにそう尋ねていた。言葉を投げてから後悔の念に苛まれる。
しかし彼女はその必死な形相のダークに対し、女神のように慈悲深く微笑んだ。それは何処か安心したような笑顔だった。

「いいえ、今まさに叶おうとしているわ」

彼女は本当に嬉しそうに紡いだのだ。
その意味が解らずにダークは首を捻ったが、「頭を揺らさないで」と彼女に両手で固定されてしまった。

肩の上で切り揃えられた髪を手でぎこちなく撫でる。首元が落ち着かないと言えば、直ぐに慣れるわと彼女は肩を竦めた。

「ありがとう。助かった」

「どういたしまして。素敵な時間をありがとう」

二人で切られた髪や道具を片付ける。ジュペッタも手伝おうとしてくれたが、細かな髪を吹き飛ばして遊び始めたので素早くボールに仕舞った。
彼女は自分の長い髪を一房摘み、「私も髪を切ります」と紡いだ。

「美容院まで送ろう」

「あら、貴方が切ってくださらないの?」

「……自信がない」

「解ったわ、またいつか、ね」

そう言って彼女は甲板に駆け上がった。ゲーチス様に「船を下に着けて下さる?」と申し出る。
ゆっくりと下降するプラズマフリゲートの甲板には強い風が吹いていた。首元が落ち着かない。新しい空気がダークの周りに吹いていた。

「きっと貴方、びっくりするわ」

そんなバーベナの発言を理解するのは、その数時間後、ダークと全く同じ髪型で美容院から出てきた彼女を見てからのことだった。


2013.12.12
25万ヒット感謝企画作品。
すえさん、ありがとうございました!

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