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私は今、真下に組み敷いた相手と、私のパートナーであるミジュマルに笑われている。
この状況が理解できなくて、理解できないまま怒りの矛先を彼に向けることもできなくて、だからこうして何もできずにいる。
そろそろ起きてもいいだろうか、との声に慌てて飛びのけば、彼は私ではなくミジュマルの方を向いて再び笑った。

「君のことがスキみたいだ。素敵なポケモンだね」

私は苛立ってしまった。ふざけている、と思ってしまった。
だってこいつは先程からミジュマルが喋ったとかミジュマルが笑ったとか、ポケモンの話しかしていない。
可哀想にと挑発を仕掛けてきたのはこいつなのに、その「可哀想」は明らかに、ミジュマルではなく私に向けられた侮蔑の言葉であった筈なのに、
その当人に放っておかれるなんて、あまりにも解せない話じゃないか。

「あんたねえ、さっきから聞いていればミジュマルの話ばかりして。
私に話し掛けているんでしょう?なら私を見なさいよ。ちょっと便利な力を持っているからって調子に乗らないでよね」

言ってから私は驚いてしまった。
それは今までずっと口には出さなかった、そしてこれからも口にしないであろう粗暴で礼儀知らずな言葉遣いであった。
優等生であることを望まれていると知ってから、ずっと隠し続けてきた、私の本質。
明らかに年上の彼に向かって、このような言葉はどう考えても適切ではない。
適切ではない私は、がっかりされる。がっかりされることはとても苦しい。だから隠さなければいけない。
でも今、私は「隠せていない」。

私は慌てた。しかしごめんなさいと謝ることはできなかった。
「隠さなければ」という焦りよりも、「言わなければ」という憤りの方が大きかったためであった。
なにしろこちらには「可哀想」だなんて思わぬレッテルを貼られた屈辱が未だに残っているのだ。
初対面の人間にいきなり「可哀想に」と言われた時の怒りへの対処法は、私がこれまで構築してきた「処世術」という名のマニュアルには書かれていない。
おまけにその相手は、私の幼馴染みのように軽蔑の眼差しを向けることも、苦笑の後に距離を置くこともせずに、ただミジュマルが嬉しそうだと笑っている。
……全てが完全に計算違いであった。努めて正常であろうとし続けてきた私にとって、彼はどこまでも異常に思われた。

だから私は「隠さなければ」といういつもの私を、棄ててしまった。
それは今までの私にとって、途方もない勇気を要する、ひどく恐ろしいことであった筈であった筈なのに、その粗暴な言葉遣いは私の気持ちをとても楽にした。

一方、何故か相手も私の言葉に驚いたように固まってしまった。何よ、と問い詰めれば、彼はクスリと笑って今度こそ、ポケモンではなく私の目を見た。

「いや、今まで「ちょっと便利な力」で片付けられたことがなかったから、驚いてしまってね」

「驚くことでも期待していたの?それとも崇めてほしかった?お生憎様、私はそんなおめでたい人じゃないの。
今はあんたの口から出た聞き捨てならない言葉にどう落とし前を付けさせようか、それしか考えていないんだから」

何しろ今の今まで「優等生」と「狡猾な少女」の二つしか、自分を形容する言葉を考えていなかった私だ。
いきなり「可哀想」なんて言葉をふっかけられるとは予想だにしていなかった。
そして今の私は、そう目の前で呟き悲しそうに笑った彼を、どうしても許すことができない。

粗暴な言葉遣いを年上の人間に対して使う私のことを許せないというのなら、どうぞ勝手にすればいい。
私だって、出会い頭に「可哀想」などという言葉を吹っかけてきたあんたのことを、許さない。

「ボクの言葉が嘘だとは思わないのかい?」

けれども私とは悉く別のポイントに話の焦点を合わせたその青年は、困ったように笑いながら僅かに首を捻るばかりであった。
その「ボクの言葉」が「可哀想に」という発言を指してはいないことくらい、私にも解る。
つまり彼は、ポケモンの声を聞くことの出来る自分を訝しく思わないのかと尋ねているのだ。
私は間髪入れずに頷いた。どうして、と口を開きかけた彼に、私は先んじて言葉を紡ぐ。

「だって、ミジュマルが頷いている」

「……」

「私はあんたが嫌いだけど、ミジュマルのことは大好きよ。この子のことは何があっても信じられるの。
私の腕の中を選んで生まれてきてくれた子なんだから、それくらい当然よね」

だから、そんなミジュマルの言葉を拾い上げられる彼が、とても妬ましい。
きっと彼の言葉に憤ってしまったのには、そうした嫉妬めいた理由もあったのだろう。
そっとミジュマルを腕に抱くと、甘えるように頬に擦り寄ってきてくれた。この子は私の、私だけの、かけがえのないパートナーだ。

私は彼からできるだけ距離を取り、芝生へと腰を下ろした。
一先ず彼の所在と名前を覚えておかなければならない。いつか落とし前を付けさせなければ。
私はそうした、悪者さながらの荒んだ視線を彼に向けた。それでも彼はニコニコとして、私とミジュマルとを交互に見ているのだった。

「あんた何者?何処の、」

何処の寮なの、と尋ねようとして気付いた。彼の首にはネクタイがない。
ネクタイはどうしたのだろう、と考えたけれど、かくいう私も、スリザリンのネクタイを締めていないのだから、
そういう意味でこの変人と私は、不名誉ながらとても似ているのかもしれなかった。

「ああ、自己紹介がまだだったね」

彼は私の方を向き、長い指を広げて自分の胸元に添えた。

「ボクはN。所属はグリフィンドール。15歳だけれど、入学が遅かったからまだ2年なんだ。よろしく」

身を乗り出して差し出された手を、何故か私は握り返してしまった。
「よろしく、なんてしないわよ」と振り払ってやることだってできたのに、私はその手を取ってしまった。
しかし「君の名前はカレから聞いているよ、トウコというのだろう」と笑ったその顔を、思い切り睨みつけてやったところで罰など当たらないだろう。

なかなかどうして、気に食わない奴と出会ってしまった。
可哀想、などというとんでもない言葉で私を形容したこの無礼な男には、一度痛い目を味合わせてやらねばなるまい。


2013.9.8

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