15

ある程度は予想していたことだけれど、私とNに向けられる視線の数は、
縮小呪文をかけたあのポケモンを肩に乗せるようになってから、2倍にも3倍にも増えてしまった。

成績優秀、バトルがそこそこ強い、箒の上達も早い。……それが、3年生になるまでの私の評価であった。
態度がでかく、口調も足癖も悪い私のことを「贔屓しよう」などという物好きな先生はいなかったから、
私の評価は、私の本当の実力よりも悪くなることこそあっても、よくなることなど決してなかった筈だった。

私よりも優秀な人間はレイブンクローあたりにそれこそ山のようにいた。私よりも悪質な人間だって、探せばそこら中にいた。
故に私が「目立つ」ことなど、私が進んで前に出て行かない限りはあり得ないことであるように思われた。
そうした私の推測は、私がゼクロムと出会うまでそのまま私の真実となり、私はその真実に悉く甘んじて、生きてきた。

けれども1か月前、始業式のあの日にそのやさしい均衡は打ち砕かれた。
目立ちたくなかった筈の私は、静かに密やかに私らしく生きていたかった筈の私は、この1か月の間に「有名人」へと変貌した。
私が望むと望まざるとにかかわらず、本当にいつの間にか「そうなってしまっていた」のだ。

トウコさん、君の恐れはとても利己的で、身勝手なものだよ。解っているよね?君はいつまでも「後輩」や「生徒」ではいられないんだ。
君が友人や家族や先輩に許されたように、君も周りを受け入れることを覚えなければいけないよ。』
ウツギ先生の正論がチカチカと脳裏で点滅する。
私はあの校長室での先生との問答を、あの場で私に浴びせられた暴力的な正しい音の全てを、
一言一句、声の調子や息継ぎの気配に至るまで、どうしても忘れることができずにいた。

「英雄」「黒い翼の英雄」「白い英雄とはずっと仲良しだった」「変わり者のNといつも一緒にいた」
「グリフィンドールとスリザリンなのに」「同寮に知り合いはいないのかしら」「ゼクロムをあんなに小さくして」
「先生にも敬語を使わない」「足を組んで授業を受けている」「テスト勉強はしないのかしら」「本の虫」「変わり者」

ウツギ先生、私は本当に、これを受け入れなければいけないの?
私は此処にいる周りの奴等に許された覚えなんてない。それなのに私は、こいつ等の噂を、視線を、許さなければいけないの?
許せないと思ってしまうこの気持ち、噂や視線を恐れるこの気持ちは、あんたの言うように、利己的で、身勝手なものなの?

「……」

たとえば、朝食の席。大広間には長い4つのテーブルが置かれていて、生徒は対応する寮のテーブルに座り、食事をする。
しかし寮の部屋のような厳しい規定がある訳ではないため、別の寮のテーブルで食事をする人間も少数だが存在する。
私もその一人で、Nのいるグリフィンドールのテーブルで、彼と一緒に食事をしていた。

緑色のネクタイを締めた人間がグリフィンドールの席に着くことを、好ましく思わない人間も確かにいたけれど、
それでもその生徒たちは、私という個人を毛嫌いできるほど、「私」のことを知らなかった。
だから「ああ、またあのスリザリン生がいる」という風に、初めこそ眉をひそめられたけれど、
数週間もすれば私という存在は、グリフィンドールの背景へとすっかり溶かされてしまっていて、
彼等もわざとらしく眉をひそめることをしなくなったし、むしろ同じ寮生にするような気さくな挨拶をしてくれることさえあった。

目立たない人間がグリフィンドールの中に飛び込んだところで、その存在は「変わり者のスリザリン生」でしかなく、
故に彼等が私に注目する理由など、私の首元に結ばれたネクタイの色を置いて他にある筈もなかった。
去年までは、確かにそうだったのだ。

「グリフィンドールのテーブルに」「どうしてあんなところで」「スリザリンの恥だ」「英雄なのに」「ゼクロムが可哀想」

……と、こういった具合に、今までと同じことをしているだけであるにもかかわらず、私に集まる声の質はあまりにも様変わりしていた。
随分な言いようだと思う。ふざけたことを言わないで、と怒鳴りたくなる。
それが3人や4人であればそうしていたかもしれない。10人くらいなら気圧されずまくし立てることができたかもしれない。
あの校長室での問答のように、悪者に成り下がって、暴言をたっぷり吐き捨てることができたのかもしれない。

でも、此処は大広間だ。この空間には何百人という人間がいる。
ホグワーツの学生、ホグワーツ院生、教師、そうした全ての人間の中で暴れられるほど、私は勇敢に出来ていない。
私の本質は、豪胆で粗暴で、とても、……とても臆病なところにあるのだ。

気の置けない人物と一緒に食事をしたいと思うことの何がいけないのだろう。
ずっと私はこの席に着くことを許されてきた筈なのに、何故今になってこんなにも鋭く叱責されなければいけないのだろう。
そうした全てを、けれども私は声に出すことができない。ただお利口を装って、静かに、淡々と、食事を摂るしかない。

ロールパンを乱暴に千切って、口の中へと押し込んだ。冷たいミルクで強引にロールパンを喉の奥へと押し流した。
ミルクも、ロールパンも、味などしなかった。周りの視線が、声が、いつもの食事の味さえ変えてしまった。

学校の中ではこれまでと同じように、一匹狼を貫いた。
ただ残念なことに、本を読んでいても、課題をしていても、周りからは私の名前が聞こえてきた。
大好きな本の中身も、面白い先生の授業も、何も入ってこないのだ。周りで囁かれる声がそれを許さないのだ。
いっそこれが、私の神経衰弱による幻聴であるならどんなにかよかっただろう、とさえ思えたけれど、
やはり耳を塞げばそれはちゃんと聞こえなくなるし、塞ぐことを止めれば「ほら見て」「何をしているのかしら」という声が入ってくる。

人の声のしない図書館へと逃げ込んでも、視線から逃れることはできなかった。
本を捲る手が完全に止まっていることに気付き、私は絶望して席を立った。
皆の視線が幻覚であればよかったのにと思いつつ、それでもやはりその、好奇心と悪意とが混ぜこぜになった視線は確かに私を貫いていた。
逃げるように図書館を抜け出した。あの定位置に座っていない私を見て、Nはどう思うだろう、などと、考える余裕さえなかったのだ。

私はおかしくなっていない。私は正常だ。なのにどうしてこんなにも苦しまなければならない。
私は何も悪いことなどしてない。私は悪くない。なのにどうしてこのような恐怖を負わなければならない。

私が、

「待って、」

「私が何をしたっていうのよ!」

誰かに腕を掴まれた途端、私は自分でも驚くほどに大きな声音で叫び、その手をひどく乱暴に振り払っていた。
スリザリンの寮へと逃げ込む直前、ようやく彼等から逃れられると安心した直後のことだった。
周りに生徒の姿が殆どなかったことがせめてもの救いだ、と思うしかなかった。私は自分の為した失態に愕然とした。

「何もしていないよ、大丈夫。トウコちゃんは何もしていない」

私の腕を掴んだ張本人であるクリスさんは、左腕に小さくしたメガニウムを抱いて、右腕でもう一度私の手を取り、
先程の私の悲鳴と私の拒絶をなかったことにしたいかのような笑顔で、穏やかな心地のままに佇んでいるのだった。
この、まるで幼い子供に読み聞かせをするかのような優しいメゾソプラノに「大丈夫」と言われてしまえば、
その言葉に何の根拠もないにもかかわらず、何故だか本当に「大丈夫」なのではないかと思えてしまうのだった。

飛び抜けて優秀な訳でも、目立った業績を残している訳でもなかったけれど、それでも「図書館組」の中心はこの人だった。
彼女が、彼女こそがあの朝の時間の砦である本当の意味を、もしかしたら私は今、まさに知ろうとしているのかもしれなかった。

「Nくんは酷いなあ。こんな状態のトウコちゃんを見つけることもせずに、レシラムとお喋りしているなんて」

「……」

「ねえ、今から私と遊びに行こうよ。お勉強のことも宿題のことも全部忘れて、街のカフェで美味しいものを食べるの。
とっても美味しいドーナツ屋さんを見つけたから、トウコちゃんにも紹介したいと思っていたところだったの」

私の肩に乗った小さなゼクロムに視線を移し、「ね、君もドーナツを食べてみたいと思わない?」と尋ねた。
ゼクロムの反応が遅かったことをいいことに、私はいつもの調子で「あんたに食べさせるドーナツなんてないわ」と、告げた。
クリスさんはクスクスと笑いながら、酷いなあと歌うように告げながら、
けれども私が最終的には彼女の誘いに乗り、ゼクロムにもドーナツを食べさせることになるのだといよいよ把握しているような心地で、

「さあ、行こう!」

いつかのように杖を一振りし、湖の方角からあのポケモンを呼び出した。


2017.12.27

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