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すれ違いざまに聞こえてくる、私やNの噂話に「無自覚の悪意」が溶けていることに、私は随分と早い段階で気が付いていた。

授業が本格的に始まってからというもの、スリザリンの中で一匹狼を貫いていた私の背中には、常に「英雄」のレッテルがついて回った。
ゼクロムが近付くことを許した人間。伝説のポケモンにも物怖じすることなく近付いた生徒。スリザリンの若きエース。孤高の英雄。
名前も知らないような、ハッフルパフの上級生でさえ、私を見ると目の色を変えて、隣の生徒たちと一緒に「トウコ」と私の名前を囁き合った。
噂好きで群れることが大好きなホグワーツの生徒たちにとって、私という存在は格好の「エサ」だったに違いない。

彼等は好き勝手にレッテルを貼った。
彼等自身の手で貼られたレッテルと私とを見比べて、「本当にそのレッテルはお前に相応しいのか」とでも言うように、
レッテルを貼り付けた張本人であるあいつらが、勝手に私を見定めようとしていた。
彼等は私を遠巻きに見て、口々に噂をした。彼等にとっては私の「本当」が何処に在ろうと、どうだっていいようであった。
ただ、ホグワーツの中に発生した異分子に目を向けることで、多少の暇潰しに使おうとしている、というような調子だった。

ゼクロムを連れていないうちから、私の傍には既に「ゼクロム」がいるような気がした。
私が一言も承諾の意を紡いでいないにもかかわらず、拒絶の言葉ばかりを吐き散らしてきたにもかかわらず、
生徒も、教師も、そして私のよく知る図書館組の先輩達までもが、既に私とゼクロムとを一つの括りに数えてしまっているかのようだった。

「特別な存在に招かれるってのは、そんなに悪いものじゃないぜ」

そう告げたグリーンは、眩い稲光を思わせる鋭い翼を持ったポケモンを携えていた。
普段、彼が連れているピジョットにも、立派な美しい翼があるけれど、それでもそのポケモンにあって、ピジョットにはないものが確かにあった。
それは威厳というか風格というか、実力だけではどうにもならないような、オーラとでも呼べそうなものであるような気がした。

「お友達が増えるって、きっと素敵なことだと思うよ」

空を映した湖の色を思わせる、涼しいたてがみをふわふわと撫でながらクリスさんは語った。
彼女が杖を湖の方角へと振れば、まるで水の上を滑るような、北風を思わせるつめたい速度でそのポケモンは駆けてきたのだ。
恭しく首を垂れるそのポケモンを、クリスさんはまるで、しばらく会っていなかった友人に挨拶をするような調子で、「こんにちは」と囁き、笑った。

レッドはあれ以来、一度も口を開かなかった。彼が特別なポケモンを連れているところを、私は見たことがなかった。
けれども「ぼく等はそうやって招かれてきた」と口にしたところからして、彼もまた、グリーンやクリスさんのように、何者かを従えているのだろう。

私が押し付けられようとしている役目をとうの昔に背負って、それでも尚、自由に奔放に楽しく生きている彼等の姿は、私を少しばかり安心させた。
けれどもその安寧は、彼等が私よりもずっと優れていて、私よりもずっと勇敢であるからこそ得られているものなのではないか、とも考えていた。
私にはそんな力はない。私はきっと、私の背中に好き勝手に貼られていくレッテルの重さに耐えられない。

Nや母や図書館の皆のように、誰もが私のありのままを許してくれる訳では決してない。
「これが本当の私よ、どうか許して、このままでいさせて」と説いて回るには、このホグワーツで学ぶ生徒の数はあまりにも多すぎる。

私はもうしばらく、迷っていたかった。迷っているふりをしていたかった。
そうやって、ゼクロムとの関係を何かしらの形で結ぶことを先延ばしにしていれば、ウツギ先生もゼクロムも、私のことを忘れてくれると期待していた。

「君がトウコくんだね」

けれどもその残酷な呼び声は、やさしい音で私を引き止め、私が私のままであることをゆるやかに禁じたのだ。

もう9月も終わろうとしている、秋も深まってきた夕方のことだった。
放課後、図書館に通じる廊下を歩いていた私の肩を、誰かがそっと叩いたのだ。
振り返れば、9月初旬の全校集会で挨拶をしていたアララギ副校長が、
中庭の剪定を終えたばかりと思しき高枝切りばさみを携え、軍手を嵌めた手をゆるく掲げて「やあ」と私に挨拶をしていた。

やられた、と思った。まさかこんなにも偉い人を寄越すなんて。ここまでして、私の断る理由を完全に絶とうとしているなんて!

嫌な予感がぐつぐつと胸の底で煮え始めていた。
ここでその手を振り払って、少し走ったところにある図書館へと飛び込んでしまえばよかったのかもしれない。
けれどもそうできなかったのは、既に説得されたと思しきNが、副校長の隣で困ったようにその眉根を下げて、私の方をじっと見ていたからだ。

「君と話がしたいんだ。今、少しいいかな」

いいかな、と尋ねているにもかかわらず、私には拒否権など残されていないのだろうと思えた。
おそらくこのホグワーツとか魔法界とかいう、大それたもののためなら、きっとこの、柔和な笑みを絶やさないアララギ副校長は、
その手に持った高枝切りばさみで「ありのままの私」を木っ端微塵に切り刻みさえして、私に、大それた役目を押し付けるのだろうと思えたのだ。

「いいわよ、何?」

「詳しいことは校長室で説明しよう。……もっとも、君ほどに賢い生徒なら、どういった用件で呼ばれているのか、既に分かっているのかもしれないな」

「……そしてあんたほどに賢い先生なら、私がそれを拒めないことだって、既に分かっているんでしょう」

その言葉に、アララギ副校長は「おや、これはしてやられたな」と頭を掻きながら笑った。
それはまるで、丁寧に剪定した植え込みを野生のヨーテリーに踏み荒らされてしまったときのような、
まったくもってどうしようもないことだと呆れながら、けれども何処かでその悪戯を、この場合は私の悪意ある発言を、すっかり許しているような調子なのだった。

私は唯一の味方である、味方であると信じている相手の隣に並び、その横顔をそっと盗み見た。
彼にとって、レシラムに「招かれる」ことは苦痛でもなんでもないのだろうけれど、それでも彼の表情は重かった。

「大丈夫かい?」

Nは前を歩くアララギ副校長の背中を真っ直ぐに見ながら、彼に聞こえない程度に抑えた声でそう尋ねた。

「大丈夫じゃない……とでも言えば、あんたは私を此処から逃がしてくれるの」

「残念だけど、ボクにそんな力はないよ。ボクにできるのは、トモダチに「招かれたキミ」を「招かれたボクとキミ」にすることだけだ」

ごめんね、と隣から聞こえたそれは、もしかしたら私の都合のいい幻聴であったのかもしれない。
彼の横顔が、その口元がそんな風に動いたように見えたのは、夕日が眩しかったからであったのかもしれない。
それでもよかった。どちらでもよかった。もう今の私には、隣を歩くこのひょろ長い青年しか、何の疑いもなく信じられる人間など存在しなかったからだ。


2017.12.26

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